旅の記録2010:淡路島・徳島への旅
徳島(その2)

2010年10月23日〜24日


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阿波おどり会館」に到着。
目的は営業時間(9:00-17:00)の終了している阿波おどりミュージアムではなく
5階から発着している眉山ロープウェイ
4月1日〜10月31日は21時まで営業しており、
さらに、通常片道600円/往復1000円のところ
17時30分以降はナイター料金として往復600円で乗れる。
ロープウェイのゴンドラ。
公式サイトによると「ひょうたんビュー号」という愛称がついている。
所要6分で山頂駅に到着。
山頂駅からの夜景。
ポルトガル人外交官ウェンセスラウ・デ・モラエスの記念館である
「モラエス館」(9:30-17:00)。
当然すでに閉館している。
山頂には1958年に
第2次世界大戦のビルマ戦線で亡くなった兵士を偲ぶため
平和記念塔(パゴダ)が建てられている。
パゴダそばの展望テラスから見た夜景。
パゴダの入口。
19時15分にロープウェイで山麓に降り、ホテルへチェックイン。
翌日(10月24日)、「アルファホテル徳島」をチェックアウト。
徳島駅方面に向かう。
朝の阿波おどり会館と眉山。
新町川にかかる新町橋。
右岸にはイベント用のステージがある。
橋の中ほどから眉山を見る。
橋の中ほどから下流方向を見る。
伊予街道を経由して、再び徳島城にやってきた。
主に昨日見きれなかった城内の東側を見てまわる。
鷲の門。
南側の堀と下乗橋。
東側の堀。
奥に見える張り出し部分は屏風櫓跡。
月見櫓跡。
東側の堀に架かる数寄屋橋。
数寄屋橋を渡って北東の数奇屋門から入城。
城内から数寄屋橋を見る。
数奇屋門の南側には旗櫓があった。
旗櫓跡から南方を見る。
数奇屋門の武者溜り。
数奇屋門から少し北に行くと隅櫓跡があった。
徳島市指定文化財・史跡の城山貝塚(3号貝塚)。
隅櫓跡の石垣。
隅櫓跡そばで飼われていた鳥たち。
6000年前から5000年前にはこのあたりは海だったらしく、
この岩にも海蝕痕である円形の窪みが残っている。
流れ池。
バラ園。
菖蒲園の裏にある道。
この道を登って行くと本丸北側の埋門跡に到達する。
徳島県遺族会によって昭和48年に建てられた「父の像」。
昨日不気味な写り方をしていた記念碑は
徳島市生まれの人類学者で大正11年に城山貝塚の発掘を行った
鳥居龍蔵のもの。
表御殿庭園裏側の扉。
城山貝塚(1号貝塚)。
なお、2号貝塚は城山東側の斜面にあり、近づくのは困難らしい。
昨日も見た池。
築出部分にはかつて弁財天を祀る弁天社があったため、
この池は弁天池と呼ばれている。
東坂口。
道を右折した先に昨日登った階段がある。
西坂口。
道を左折した先に昨日降りてきた階段がある。
「駅舎」の裏にはSLが静態保存されている。
68692号蒸気機関車。
大正12年から昭和44年まで徳島県内を走った。
西側から本丸を目指す場合は、まずこの階段を登る。
68692号の諸元が記された説明板。
「プラットホーム」には「徳島駅」の駅名標が設置されている。
なお、徳島駅の隣にある阿波富田駅は昭和61年11月に臨時駅として設置、
翌昭和62年4月に正式な駅に昇格したため、
68692号の静態保存が実施された昭和45年当時は存在せず、
牟岐線の徳島の次の駅は二軒屋だった。
正面から撮影。
線路の先にはトンネルを模したモニュメントがあり、
内部には「徳島鉄道年表」として県内の鉄道開通の歴史が記されている。
「プラットホーム」から撮影。
公園内から徳島駅構内を撮影。
これにて徳島城の見学は終了。
徳島駅ビル内で遅めの朝食を取り、土産物を購入すると、
帰宅の途へ。
ただし、ここで乗車したのは路線バス。
そして、行き先は「南海フェリー乗り場」。

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