旅の記録2010:淡路島・徳島への旅
明石

2010年10月22日


2009年に全47都道府県訪問を達成したが、そのうち徳島県は「四国巡りの旅」の帰り特急「南風」で通過しただけだったので、
ぜひちゃんとした訪問をしたいと2009年12月に淡路島・徳島への旅を計画した。
しかし、仕事の事情で断念せざるを得なくなった。
今回、行程を一部変更したものの目的地は変えずに再び計画し、無事決行することができた。

東海道新幹線新大阪行き「のぞみ209号」で新大阪まで行き、
姫路行き新快速電車に乗り継いでまず到着したのは、
駅のホームから城が見える「明石」。
電車の窓越しやホームから見るだけだった明石城を、
この日ついに訪問。
JR西日本・山陽電車の明石駅南口。
この日の昼ごはんは玉子焼(明石焼)。
明石城東門の石垣。
南側の堀。
東門より入城。
城内は普通の公園。
近隣の幼稚園か保育園の遠足だろうか、
小さな子供がたくさんいた。
右に進み、奥にあるくの字状の階段を上がると、
城郭らしい風景に。
地図を確認し、こちらの道を進む。
突き当りを左折すると・・・
いかにも隅櫓跡、な石垣。
来た道を振り返る。
通路外側の石垣。
坂を上ると再び丁字路に突き当たる。
右手には明石市立文化博物館方面へ抜ける門があった。
来た道を振り返る。
左手の門跡を抜けると東の丸へ。
東の丸の北側にある門跡。
東の丸北側の石垣上から西方を見る。
東の丸北側の石垣上から桜堀を見る。
東の丸と二の丸を仕切る石垣の上で遭遇した
この野良猫はここを住処にしているのだろうか。
二の丸南側から明石駅方面を望む。
二の丸南側にある門跡。
階段の幅の広さからして、ここが大手口のようだ。
二の丸南門(仮称)そばから撮影した明石城巽櫓。
二の丸北西隅の石垣。
隅櫓を置くには小さすぎるか。
二の丸北西隅から本丸方向を撮影。
二の丸北西隅の石垣上から東方を見る。
二の丸にはこのように多くの樹木が植えられている。
いよいよ本丸へ。
左手には巽櫓がある。
本丸内部はこのようになっている。
建造物は櫓2つのみ。
本丸東門(仮称)から二の丸方面を見る。
本丸南側の見晴らし台のような場所から巽櫓を撮影。
本丸南側から明石駅を見る。
JRと山陽の電車がほぼ同時に明石駅を発車。
南西部には関西独立リーグ・明石レッドソルジャーズの
ホームスタジアムである第1野球場がある。
そして、本丸坤櫓もここから見える。
鬼門にあたる本丸北東隅には
五間(約9.1m)四方、
高さ六間九尺一寸(約11.4m)の艮櫓があったが、
現存しない。
艮櫓跡から南方を見る。
櫓跡には礎石のような石が設置されていた。
本丸北側にある門跡。
この先には稲荷曲輪がある。
本丸の北西隅、乾櫓があったと思われるあたり。
艮櫓と同じく現存せず、礎石のような石が設置されている。
乾櫓跡から東方向を見る。
乾櫓跡から南方向を見る。
乾櫓跡から南に進むと、天守台に辿り着いた。
明石城は天守台は造られたものの、天守閣が建てられることはなかった。
天守台から坤櫓を撮影。
本丸北側の門跡を通り、稲荷曲輪に下りると
北側に門跡らしき石垣があるのだが、
両者の位置がずれている。
こちらは東側の石垣。
西側の石垣があるところから北方向を撮影。
こちらは西側の石垣。
稲荷曲輪から本丸へ上る坂。
本丸の西にある稲荷曲輪。
本丸の石垣は二層になっている。
天守台付近の石垣。
稲荷曲輪の南西隅。
やはり隅櫓の跡がある。
稲荷曲輪南側の門跡。
門による防御以外に本丸坤櫓からの迎撃もできるため、
守りの固い部分と言える。
門跡を通って稲荷曲輪を後にする前に、
振り返って稲荷曲輪内を撮影。
階段を下りる途中で本丸坤櫓を撮影。
階段を下りると丁字路になっており、
左に進むと回廊を経て最初の所(右側の画像)に、
右に下りると平地部分に出る。
踊り場から本丸坤櫓を撮影。
平地に下り、かなり引いたところから2つの櫓が入るように撮影。
南側中央にある大手門。
当日は菊花展が行われていたため、
大手門前はこのようなことに。
大手門そばには、
明石出身の大洋漁業(現:マルハニチロ水産)創業者・
中部幾次郎の銅像が建っている。

この後明石駅に戻って山陽電車の阪神梅田行き直通特急に乗車、舞子へ向かった。


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