旅の記録2010:淡路島・徳島への旅
洲本(その2)
2010年10月23日
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進む> | 洲 本その3 |
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搦手口の右手には西の丸への道がある。 | ![]() |
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洲本城搦手門跡。 | ![]() |
本丸への階段と本丸の石垣。 | ||
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搦手門跡から南方面を見る。 | ![]() |
何かの調査のためか、 石垣の石に「B***」(***には数字が入る)と書かれたテープが張られていた。 |
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搦手門跡西側の石垣。 | ![]() |
西の丸方面へ進むと、進行方向左側に籾蔵跡があった。 | ||
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進行方向右側の石垣が崩れかけている。 | ![]() |
道の先には、もはや何の用もなさない門扉が。 以前、向こう側に何があったのか知る由もない。 |
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西の丸への道。 | ![]() |
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進行方向左側の景色。 | ![]() |
右側にカーブする階段を上る。 | ||
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道は左側に曲がっているが、ここで右側に入ると・・・ | ![]() |
行く先には大きな石が。 | ||
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矢穴が掘られているものの、石垣として使われなかった「残念石」。 | ![]() |
残念石の裏側から洲本港を撮影。 | ||
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搦手口に戻る途中、進行方向右側には紀淡海峡の景色が広がる。 高熊山の奥に見えるのは成ヶ島。 |
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「友ヶ島」のうち西側の大きな島・沖ノ島が見える。 | ||
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ここまで戻ってから、西の丸を見に行くため再度先ほどの道を引き返す。 | ![]() |
残念石の手前で左折した道の先には・・・ | ||
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西の丸は憩いの場のような感じで整備されていた。 遺構は見当たらず。 |
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今度こそ搦手口まで戻ってきた。 搦手門跡の南には「三熊梅園」があったが、 観梅の季節ではないため人影はなし。 |
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本丸の高石垣を南西側から撮影。 | ![]() |
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梅園への入口手前から南の丸方面を撮影。 | ![]() |
音楽記号のダブルシャープのような印がつけられた石垣。 | ||
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南の丸。 その名の通り、本丸の南側に位置する。 |
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南の丸を北東側から撮影。 | ![]() |
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南の丸の東側にある門跡。 | ![]() |
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南の丸の東南隅にある隅櫓跡。 | ![]() |
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ベンチが置かれているだけで、説明板などは設置されていない。 | ![]() |
隅櫓跡から門跡を俯瞰する。 | ||
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隅櫓跡から西方向を見る。 | ![]() |
ここにも櫓があったのだろうか。 | ||
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櫓跡らしき石垣。 | ![]() |
南の丸西側の石垣。 | ||
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大石段前から東方向を見る。 | ![]() |
本丸南東隅の石垣。 奥に見える廃屋は何だろう。 |
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本丸大石段。 | ![]() |
本丸東側には草に埋もれたスペースがある。 | ||
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大石段を上ったところ。この先には虎口がある。 | ![]() |
南の丸を俯瞰。 | ||
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本丸虎口。 | ![]() |
虎口を抜けて本丸へ入る。 西側には武者走り台が残っている。 |
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北へ向くと、天守台、そして模擬天守がある。 | ![]() |
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搦手側の虎口。 | ![]() |
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南へ進むと、搦手門跡に出る。 | ![]() |
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搦手側から天守台と模擬天守を撮影。 | ![]() |
北西側の展望スペースから天守台と模擬天守を撮影。 | ||
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本丸北側の石垣。 | ![]() |
北側から見上げるように模擬天守を撮影。 |
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洲本市街の眺望。 <洲 本その3に続く> |
進む> | 洲 本その3 |
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