周遊きっぷ(大分ゾーン)の旅 |
2日目:2012年9月13日(木曜日)〜 3日目:2012年9月14日(金曜日) |
延岡(その2) |
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※画像説明冒頭の時刻表示はデジタルカメラのタイムスタンプであり、実際の撮影時刻と少々ずれている場合があります。
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[17:21]三階櫓跡。 | [17:22]三階櫓跡には延岡出身で 一等操縦士・一等飛行士の第一号となった 後藤勇吉の顕彰碑がある。 |
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[17:28]三の丸跡。庭園らしき遺構がある。左奥には・・・ | [17:30]延岡市の初代市長であり、 後に9代市長として再選されると五ヶ瀬川・大瀬川の 橋梁整備を行い、「橋架け又次郎」の異名をとった 仲田又次郎の胸像(存命中の昭和39年に建立)がある。 |
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[17:31]搦手にあたる「石御門」跡。 | [17:32]石御門から続く搦手道。 |
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[17:35] この先、搦め手と思われる道は山の斜面に続いていた。 |
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[17:50]北大手門を通って城山公園を後にし、 内藤記念館がある西の丸跡へ向かった。 |
[17:51]S字カーブを抜けると・・・ |
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[17:52] 内藤記念館に併設されている延岡市民会館。 |
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[17:54]「櫻兒碑」(左)と「桜児の母像」(右)。 世阿弥作の謡曲「桜川」に因んで天保10年に 「桜の馬場碑」が建てられ、その碑が失われると 明治45年に内藤政挙らが市内天神小路に「櫻兒碑」を 建立、その後昭和41年この地に移設した。 「桜児の母像」は昭和57年に建立された。 |
[17:55]西の丸跡の土塁。 もとからあったのか、後世に作られたのかは不明。 |
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[17:57]内藤記念館(開館時間は9時から17時まで)。 昭和14年に内藤家から寄贈された邸宅が初代だったが 昭和20年6月に焼失、現在の建物は市制施行30周年を 記念して昭和38年10月に建設された。 |
[17:58]東側にある門。 これも内藤家から寄贈された時からあったものか不明。 |
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[17:59]西の丸の東側斜面。 左奥は櫓跡のような地形だが・・・。 |
[17:59]内藤記念館の東側入口。 右側には延岡市社会教育センターがある。 |
18時を過ぎて、一旦来た道を駅前まで戻ると、場所を確認してから県道16号を渡り、延岡のご当地グルメ 「チキン南蛮」発祥の店といわれる「元祖チキン南蛮 直ちゃん」で今日の夕食を取る。 注文したのはもちろんチキン南蛮定食(900円)。おいしゅうございました(細かな描写は下手なので省略)。 食後、今晩泊まるホテルにチェックイン。 翌日(9月14日)は6時にホテルをチェックアウトした。 |
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[6:18]延岡でもうひとつ見ておきたかったのがここ。 2005年9月の台風で甚大な被害を受け、そのまま 運行が再開されることなく廃止された高千穂線の 延岡駅跡。 |
[6:20]ほとんど跡形もない高千穂線延岡駅跡。 しかし、画像右側に階段らしき残骸は確認できる。 |
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[6:22]駐車場から廃線跡(高千穂方面)を見る。 | [6:21]駐車場から廃線跡(延岡駅方面)を見る。 |
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[6:30]延岡駅を出て最初の踏切である三軒家踏切。 | [6:34]踏切部分にもレールの跡はまったくない。 |
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[6:35] 三軒家踏切から廃線跡(高千穂方面)を見る。 廃線跡は途中から雑草に埋もれながら 西にカーブしている。 |
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[6:38]県道16号をオーバークロスする三軒家橋梁は 平成25年度までに撤去される予定。 |
[6:39]橋台の幅が2線分あるのは、右側に 旭化成の工場へ延びる専用線の鉄橋が架かっていたため。 |
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[7:06] 延岡駅に戻り、大分行き特急「にちりん2号」を待つ。 3番のりばに停車中の列車は宮崎空港行き 特急「ひゅうが7号」。 2・3番のりばの鏡付きの洗面台は本来の用途ではなく 花が活けられていた。 |
定刻の7時8分より少し遅れて到着した特急「にちりん2号」に乗車し、再び大分県へ。