周遊きっぷ(大分ゾーン)の旅
2日目:2012年9月13日(木曜日)〜
3日目:2012年9月14日(金曜日)
延岡(その1)

戸 畑→若 松 大 分・豊後竹 田 臼 杵 延 岡 杵 築 宇 佐 門 司
延岡(その2)に進む>

宗太郎駅を通過した特急「にちりん15号」が国道10号と交差するあたりで県境を通過、宮崎県に入った。
これまで肥薩線(真幸駅)でえびの市をかすめ、2011年に鹿児島県側から都城市を訪れているが、
大分県側からの宮崎県入りは初めてである。
※画像説明冒頭の時刻表示はデジタルカメラのタイムスタンプであり、実際の撮影時刻と少々ずれている場合があります。

[16:10]16時8分に周遊きっぷ(大分ゾーン)の南端、
延岡駅に到着。
まともに撮影できる時間はそれほど多くないので、
延岡城跡(城山公園)へ急ぐ。
[16:19]五ヶ瀬川に架かる五ヶ瀬橋を渡り、
川北地区から川中地区へ。
[16:34]延岡城跡(城山公園)に到着。 [16:35]さっそく山道を登っていく。
[16:36]このような細い道を上っていくと・・・ [16:37]若山牧水の歌碑がある曲輪?が見えてきた。
[16:43]丁字路を右に進むと、門跡らしき地形が。
先に進むと・・・
[16:47]井戸跡と・・・
[16:50]延岡城跡の最大の見どころである
「千人殺しの石垣」。高さ22m、総延長約70mで、
石垣の一部を外すと崩れ落ちて一度に千人を殺すと
言い伝えられている。
[16:50]復元された北大手門。
[16:53]外側から北大手門を見る。 [16:53]北大手門脇には内藤家の墓所がある。
もとは五ヶ瀬川沿いの三福寺にあったが、
明治42年に五ヶ瀬川の河川改修のため
この地に移された。
[16:54]北大手門前から「千人殺しの石垣」を見上げる。 [16:58]二の丸跡から「千人殺しの石垣」を見る。
二の丸には特に見るべき遺構はなく、
また、一か月後(10月13日)に実施される
のべおか天下一薪能」の会場設営が行われていた。
[17:00]「千人殺し」前の階段を上ると
門跡があり、道が二手に分かれる。
[17:00]向かって左手には櫓跡らしきスペースがある。
[17:03]左手は本丸・天守方面なので後にして、
先に右側へ行く。
[17:03]こちらは二階櫓跡。
二層二階の櫓があったらしい。
現在は「晩稲晩化記念碑」と日吉小次郎の胸像、
日吉の顕彰碑がある。
※大正14年に日吉小次郎が水稲の新しい品種「九州8号」を導入して
「晩稲晩化」(田植え時期を遅らせることで害虫の繁殖期を避け、収穫量を増やす)
を成功させたことを記念して、後年に石碑が建てられた。
[17:05]二階櫓跡から本丸方面を見る。 [17:06]本丸方面へ行く。
ここには二階建ての門櫓があったらしい。
[17:06]本丸へ上がる手前にも門跡がある。 [17:08]延岡城本丸。
[17:09]
本丸には延岡藩最後の藩主
内藤政挙(まさたか)の像が建っている。
[17:11]本丸から北西方向を眺める。
緑色の屋根の建物は市立図書館。
[17:11]本丸から西方向を眺める。
奥の青い屋根の建物は市民体育館。
下には二の丸で設営中の「のべおか天下一薪能」の
観客席(の骨組だけ)が見える。
[17:13]延岡城の本丸は最上層ではなく、
その先には天守台がある。
[17:14]天守台への道を上ると、右手に石垣が。
[17:14]
平成14年度の発掘調査で発見された天守台虎口跡。
今後整備する予定があるらしいが、
それまでは土嚢を積んで保護し、立入禁止となっている。
[17:15]天守台に到達。 [17:16]上から見た天守台虎口跡。
[17:18]天守台から東方向の眺め。
鉄塔が建っているビルはNTT西日本延岡市外ビル。
[17:17]天守台から南方向の眺め。
大瀬川に架かる橋は大瀬橋、右の山は愛宕山。

これから、一部を除いて行きとは別のルートを取って下山する。(その2に続く


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