周遊きっぷ(大分ゾーン)の旅 |
2日目:2012年9月13日(木曜日) |
大分・豊後竹田 |
戸 畑→若 松 | 大 分・豊後竹 田 | 臼 杵 | 延 岡 | 杵 築 | 宇 佐 | 門 司 |
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2日目の朝、6時にホテルをチェックアウトし、 大分駅とは反対方向へ。 目的は4年ぶりの府内城訪問。 |
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大手門から入城。 | 大手門そばの武者走り。 |
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天守台。 傍らにある時計と大友宗麟の胸像は4年前と変わりない。 |
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大友宗麟の胸像の後ろには天守台に登れる階段があった。 |
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階段を上ると・・・ | 天守台の上に出た。 天守台の上には測量点らしきものしかなかった。 |
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天守台から西方向(廊下橋)を見る。 | 天守台から北方向(人質櫓)を見る。 人質櫓は安政元年(1854年)の地震で損壊したが、 修築してからは空襲でも被災せずに残った。 |
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天守台から東方向を見る。 | 天守台から南東方向(東丸二階櫓)を見る。 |
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東丸二階櫓。 |
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本丸北二階櫓跡。 | 北二階櫓跡にも、この階段を通って上ることができる。 |
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北二階櫓跡から人質櫓を見る。 | 北二階櫓跡にも遺構は何もない。 |
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西の丸北側の門。 | ここには冠木門が建っていた。 礎石が2つ残されている。 |
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西の丸と山里丸を結ぶ廊下橋。 扉が開いているのは午前8時から午後6時までの間。 |
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格子の間から廊下橋の中を覗いてみる。 |
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廊下橋が架かる北側の堀。 | 西側の堀を分断する橋は本来なかったもの。 |
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北側の山里丸跡には現在、松栄神社が鎮座している。 |
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「慶長の石垣」。 山里丸の石垣の一部で、慶長年間に積まれたという。 |
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山里丸跡側から見た廊下橋。 | 松栄神社の本堂。 |
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人質櫓と天守台。 |
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北東側から東丸二階櫓を見る。 | |
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東側から東丸二階櫓を見る。 | 手前側は三階櫓跡、左奥は平櫓。 |
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大分駅前(府内中央口)。 旧駅舎の取り壊しを含む再開発工事中だった。 |
大分駅から、当初はすぐ臼杵に向かう予定だったが 周遊きっぷのフリー区間が豊肥本線の豊後竹田までも 含まれているので、せっかくの機会だからと 九州横断特急41号で豊後竹田まで行くことにした。 |
※旅行当時、平成24年7月九州北部豪雨による災害で豊肥本線は豊後竹田−宮地間が不通となっていた。 そのため、「九州横断特急」は別府−大分−豊後竹田間(号数は40番台)と 宮地−熊本−人吉間(号数は1ケタ)で運行されていた。 |
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高架化された大分駅構内(小倉方面を見る)。 | 大分駅の高架ホーム。 |
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4番のりばに豊後竹田行き特急列車「九州横断特急41号」が入線。 側面方向幕は列車名が入っていない「特急|豊後竹田」表示だった。 |
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大分駅を出た「九州横断特急41号」は途中の緒方までは 軽快に走行していたが、緒方から先は 8月20日に運行再開されたばかりの区間で、 緒方→朝地間の第一大野川橋梁など 九州北部豪雨で被災した部分は徐行しながら、 豊後竹田駅にほぼ定刻で到着。 |
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豊後竹田駅ホームから朝地方面を見る。 | 豊後竹田駅構内。島式ホーム1面2線。 |
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豊後竹田駅の駅舎と、九州を横断できずこの駅で 折り返し別府行き「九州横断特急42号」として待つ キハ185系気動車。 駅舎前に停車しているバスは七城観光による 豊後竹田−宮地間の代行バス。 |
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駅前の竹田橋から見た稲葉川(左の画像が下流方面、右の画像が上流方面)。 | |
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豊後竹田駅の改札とホームを結ぶ道。 どこかで似たような構造の駅ががあったなと思ったら、 3年前に訪れた白河駅だった。 この後普通列車で大分まで戻り、大分からは 特急「にちりん9号」で臼杵に向かった。 |