ウィークエンドパスの旅2010
白石(その2)
2010年5月9日
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←神明社の鳥居。 延命寺にあった厩口門はここに建っていたらしい。 |
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奥のほうへ進むと神明社がある。 しかし、今回は入らずに手前で左に曲がる。→ |
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白石城復元天守。 | ![]() |
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大手一ノ門。 その奥に大手二ノ門がある。 |
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大手門(一ノ門、二ノ門)と天守は1995年に復元された。 | |
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井戸(これも復元)。 | |
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←大手一ノ門をくぐる。 | ![]() |
大手二ノ門。→ | ||
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大手一ノ門を内側から見る。 | |
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大手二ノ門をくぐり、本丸へ。 | |
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内側から見た大手二ノ門。 | |
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本丸御殿跡。 何もない。 |
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逆光になって見えないが、「片倉小十郎景綱公頌徳碑」。 | ![]() |
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「白石城本丸跡」の木柱そばから天守方面を撮影。 ここから天守を撮影するのは秋以降がよさそうだ。 |
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←鐘堂。 | ![]() |
本丸井戸。→ | ||
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いよいよ復元天守へ入る。 | |
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天守から本丸(頌徳碑あたり)を見る。 画像左奥には東北新幹線の白石蔵王駅が見える。 |
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天守から大手門を見下ろす。 | |
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天守から本丸西側の土塁を見下ろす。 | |
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天守から蔵王連峰を見る。 | ![]() |
白石城歴史探訪ミュージアム。 映像を見るのに料金が必要だが、 館内展示を見るだけなら無料である。 |
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歴史探訪ミュージアムそばから大手門と天守を撮影。 | |
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←二の丸跡から天守を撮影。 手前にある銅像は第18代横綱・大砲萬右衛門のもの。 |
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二の丸跡に建つ横綱碑。 大砲とともに名が刻まれている谷風梶之助は 第4代横綱(2代目)ではなく初代。→ |
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ここにも何かの碑があったのかもしれないが、 基礎部分しか残っていない。 |
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「白石城二の丸跡」の木柱を入れて撮影。 | |
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二の丸側(西側)から天守を撮影。 | |
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本丸西側の土塁。 | |
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馬場跡はトイレになっていた。 | |
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馬場跡から二の丸跡を見る。 | |
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本丸裏門跡。 | ![]() |
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「白石城」と刻まれた石碑と天守を入れて、 観光ガイドのように撮影。 |
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時刻が17時を回ったため、大手二ノ門が閉められた。 | |
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東側から外へ出ることにし、坂を下る。 | |
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ここは「東口門跡」。 ここにあった二の丸大手二ノ門は 当信寺の山門として残っている。 |
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というわけで 功徳山当信寺にやってきた。 これが白石城東口門(二の丸大手二ノ門)。 ←表|裏→ |
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境内にあった石碑軍。 まずは「廿三夜」と「南無阿弥陀佛」。 「南無阿弥陀佛」は「佛」が半分くらい埋もれてしまっている。 |
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「愛染明王」。 | ![]() |
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「大日如来」。 | ![]() |
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真田幸村の子、阿梅と大八(守信)の墓。 左が阿梅の墓、右が守信の墓。 2人は片倉重長に養育され、阿梅は重長の後妻に、守信は片倉四郎兵衛守信として伊達家の家臣となった。 |
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宮城県道24号を東進し、 陸橋で東北本線をオーバークロスする。 |
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陸橋から白石城方面を見ると、天守の最上部が見える。 手前にあるのは白石第二小学校。 |
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斎川に架かる橋を渡る。 | |
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←東北新幹線の白石蔵王駅に到着。 | ![]() |
駅舎内には白石市の特産物である 温麺・こけし・和紙について展示した 「温麺の館」がある。→ |
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早めの夕飯として温麺を食べ、土産物を購入すると 改札を通過。 |
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改札内には温麺用の麺や天守を模した「白石城みこし」などが展示されている。 | |
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東京行き東北新幹線「やまびこ220号」で帰京。 上野駅で友人と別れた。 |
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