ウィークエンドパスの旅2010
丸森
2010年5月9日
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富野行き列車から下車した。 しかし、ここは丸森駅ではなく福島県伊達市の梁川駅。 富野行き列車では丸森まで行けないため、 ここで丸森まで行ける列車に乗り換える。 |
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梁川駅の駅舎には「ABQ」なる喫茶店が入っているようだ。 | |
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←福島方には車両基地がある。 | ![]() |
梁川駅ホーム。→ | ||
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車両基地から列車がやってきた。 何やらヘッドマークをつけている。 |
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土曜・休日に運転される東北本線直通仙台行きの 「ホリデー宮城おとぎ街道号」に乗って、再び丸森へ向かう。 |
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丸森駅に到着。 | |
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「ホリデー宮城おとぎ街道号」を見送る。 | |
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←丸森駅は国鉄丸森線の駅として開設されたため、 駅舎は東海道本線の醒ヶ井駅などと似た雰囲気。 |
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町内にある「蔵の郷土館齋理屋敷」に因んで、 蔵を模した駅名標。→ |
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丸森駅ホーム。 | |
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駅前にある観光絵地図。 ここでの目的地はしっかり掲載されている。 |
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駅舎の左手にある電話ボックスも蔵を模している。 画像の左端に写る記念碑は、国鉄丸森線開通と明治100年を記念したもの。 |
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1乗車100円のウィークエンドバス「るんるん号」(土曜・休日運行)で 途中の「本町」まで行く。 |
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本町バス停から国道113号を東へ歩くと、 前方に山が見えてきた。 あれがここでの目的地、丸森城跡。 |
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丸森城跡を近くから見るため、 国道から外れて阿武隈川の支流・内川の堤を歩く。 |
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内川にかかる国道113号の丸森新橋。 左には歩行者専用の橋もある。 |
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丸森新橋から内川(阿武隈川との合流点方面)を見る。 | |
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丸森新橋を渡り、さらに東に行くと、この丁字路で右折。 文字が消えかけているが、 「丸山城跡入口→」という看板が建っている。 なお、地元では他にも金山城などの城跡があるためか、 「丸森城」ではなく「丸山城」と称されている。 |
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このあたりでは国道113号の工事が行われていた。 | ![]() |
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←相馬方面|角田方面(来たほう)→ | ![]() |
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ここで右側の道に入る。 | |
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この先の丸森城(丸山城)跡には 伊達稙宗の墓碑が建てられている。 |
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ここを右折した先が丸森城跡・・・ではなく、 右手の盛り上がっている部分がすでに 丸森城跡の一番手前側の曲輪である。 |
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ただ、建造物は何も残っていない。 先に進むと、次の曲輪は竹藪と化していた。 |
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竹藪の曲輪の先には一段低いところがあった。 小さな曲輪がいくつもあったようだ。 途中、筍もいくつか発見。 |
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竹藪はここまでのようだ。 | ![]() |
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坂を上り、左に曲がる。 ←右手には貯水施設が設置されている。 |
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ここも曲輪の一つだろうか。→ | ||
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←奥には「この先お車ご遠慮ください」 と書かれた立て看板がある。 |
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左画像の真ん中から右を見たところ。 こちらにも何かありそうだったが、結局行かなかった。→ |
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立て看板があるにもかかわらず轍の残る道を進む。 | |
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右手の曲輪?の周りには たくさんの枝をつけた木々が植えられている。 ここは公園跡なのだろうか。 |
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さらに先に進むと、 奥にようやく墓碑と神社らしきものが見えてきた。 |
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そこへいくための道(堀切か?)はこんなに細い。 普通に歩くなら問題ないが・・・。 |
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堀切のような細い道を進む。 | ![]() |
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伊達稙宗の墓碑。 この丸森城は天文の乱で息子の晴宗に敗れた稙宗が 隠居した城である。 墓碑自体は明治23年に 子孫の伊達宗基伯爵によって建てられた。 |
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墓碑の奥には愛宕神社がある。 | |
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こちらには愛宕神社の参道らしき石段がある。 | |
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比較的最近に再建されたのか、 建物からは歴史的な重みが感じられない。 |
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草に埋もれそうになっていた石碑の1文字目は蚕、 2文字目は人偏(イ)に旁が止と下を合わせたような文字。 丸森は養蚕の町だが、それと関係のあるものだろうか。 |
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愛宕神社の左には風致保安林の看板が立っていた。 | |
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愛宕神社の裏にも曲輪らしき平地があり、 その手前に石碑があった。 石碑には「元禄七庚戌天三月二十有二日」 (元禄七年=西暦1694年)という日付と いくつかの梵字などが刻まれていた。 |
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先ほど通った堀切?方面を見る。 | |
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愛宕神社の参道らしき石段を降りる。 | ![]() |
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参道は途中からパイプ階段に。 | |
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階段が石段に戻り、少し進むと 「昭和三年三月二十四日建之」と刻まれた 石造の鳥居に遭遇。 建てられてから73年経った今日、この鳥居をくぐるのは もはや自分たちのような物好きだけなのだろうか。 |
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←参道を降り切った先には何があるのだろうか。 | ![]() |
参道脇にあったこれは井戸のようなものだろうか。→ | ||
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奥には赤い橋が見える。 内川にかかる橋だろうか。 |
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振り返って鳥居を見る。 次にこの鳥居を誰かがくぐるのはいつのことになるだろうか。 |
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もう少し進むと、完全に開けたところに出た。 振り返っても、鳥居はもう見えない。 |
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出たところはなんと工事現場。 もちろん日曜日なので工事は休みだったが。 |
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先ほどの赤い橋は内川に架かる丸森新橋だった。 その隣には新しい橋が架かるようだが、 橋の名前はどうなるのだろうか。 |
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丸森町資料展示収蔵館(まるもりふるさと館)を見学。 中にいた職員の方がいろいろ説明してくれただけでなく、 まだ展示していない、最近発掘されたお椀なども 見せていただいた。 さらに本を買ったらおまけまでつけてくれるなど、 とても親切にしていただいた。 |
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本町バス停から乗る予定だったバスの時刻は とっくに過ぎていたので、丸森駅までは歩いていくことに。 次の列車の発車までは約20分。果たして間に合うか。 ←国道113号の160キロポスト。 |
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阿武隈川に架かる丸森橋。 行きはバスで通ったが、帰りは徒歩で渡る。→ |
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←橋に近づいて撮影。 | ![]() |
橋の袂から撮影。→ | ||
橋を渡った先には「角田上水中興之碑」が建っていた。 | ![]() |
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丸森橋のたもとにあった石碑群。 ←左から金比羅大権現、二□舩王尊、山神。 舩王(天武天皇の孫)は最終的に二品まで上がっているので、 □の部分は品か。 |
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大国主命。 姥石はここではなく阿武隈川の中にあるらしい。→ |
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この場所に来た時点で、次の電車の発車まであと4分。 最後はひたすら走ってなんとか間に合った。 |
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11時42分発の槻木行き列車で丸森を後にした。 <白石編へ続く> |
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