ウィークエンドパスの旅2010
白石(その1)

2010年5月9日


[猪苗代二本松1/2福島丸森白石1/2)]


12時4分、槻木駅に到着。
これで阿武隈急行全線完乗。
槻木駅には
←阿武隈急行仕様のものと
JR東日本仕様→
2種類の駅名標がある。
白石(福島)方を見る。
ホームの端に阿武隈急行の乗務員室がある。
丸森から乗ってきた車両は折り返し福島行きとなった。
跨線橋を通って1番線ホームへ来ると、
福島行き快速「仙台シティラビット72号」が通過していった。
通常の仙台シティラビットは槻木に停車するが、土曜・休日のみ運転の一部列車は通過する。
次の白石行きは12時27分。
まだ時間があったので、一旦改札の外に出て
駅舎を撮影したりしていた。
27分発の白石行きに乗車し、12時48分、終点白石に到着。
1番線ホームそばには、白石駅開業時から残る煉瓦造りの油庫が
鉄道グッズの展示スペースとして開放されていた。
白石駅駅舎。
入口そばには天守の模型が乗った郵便ポストが。
「歓迎 鐘響都 白石」の文字がついた鐘楼。
鐘は伊達家の家老で白石城主を務めた片倉家の馬標であり、今日では白石市の市章にもなっている。
まずやってきたのは、真言宗智山派の瑞珠山延命寺。
目的はこの山門。
その前に、境内で見つけた石碑を2つ。
梵字に「三界萬霊」。
大きな庚申塔。
←先ほどの山門を表側に回って撮影。
この門はかつて白石城の厩口門だった。
門の手前左にあったこれは何に使うのだろうか。→
延命寺本堂。
画像の右下にある「南無大師遍照金剛」は
弘法大師・空海へ帰依するという意味。
(遍照金剛は空海の法号。六歌仙の僧正遍照とは関係ない。)
「阿弥陀堂」という札のついたお堂には
「喘息地蔵」が納められている。
こちらの左側が阿弥陀如来像、右は安珍地蔵。
阿弥陀堂の左にあった石碑。
右側には庚申塔、左には辮才天と刻まれた碑
(右画像は近づいて撮影したもの)。
白石駅前に戻り、ミヤコーバスに乗る。
滝の下停留所で降り、上り坂を進む。
片倉家廟所はこちら。
これは何を祀った石碑だろうか。
周辺案内。
近くには片倉景綱の異父姉喜多の墓と
伊達政宗の妻愛姫の実家である田村家の墓がある。
白石城主片倉家歴代廟所。
柵の外には景綱に仕えて殉死した者の墓と
明治4年に家臣が北海道に開拓のため移住した際に
建てた供養碑「惣家中の碑」がある。
いよいよ中に入る。
正面には初代景綱の墓がある。
←手前から初代景綱、二代重長、四代村長、
五代村休、九代景貞、十代宗景。
なお、宗景のみ阿弥陀如来坐像ではなく普通の墓石である。
手前から初代景綱、三代景長、六代村定、七代村廉、
七代の妻(伊達吉村の女)、八代村典。
七代村廉の妻は仙台藩主伊達吉村の娘だったため、
城主と同じような扱いとされた。→
次は喜多の墓へ。
途中、「大黒天」と朱書きされた石碑を発見。
延命寺には弁財天、ここには大黒天ということは、
他を探したら恵比寿や福禄寿などもあるのだろうか。
石段のそばには
「刈田三十三ヶ所第一番札所」
と刻まれた小さな石碑があった。
石段を上がった所にも石碑軍・・・じゃない石碑群が。
←左が庚申供養碑、真ん中が青面金剛碑、右は読み取れず。
左が馬頭観音碑、右は馬暦神と刻まれている。→
刈田三十三ヶ所第一番札所・滝の観音堂。
観音堂の左を通り、石段をあがると
「片倉喜多子の墓」。
伊達家の家紋「三引両」のついた、喜多の墓。
墓の左手には先へ行く道がある。
喜多の墓のそばには
このような墓と思われる碑がたくさんあった。
上2つから少し離れたところにある墓石(?)群。
喜多の墓の左から伸びる道を進むと、
このような場所に出た。
道路の反対側には「田村の墓」という案内看板がある。
この道路がなぜここで途切れているのかは謎である。
ともかく、「田村の墓」へ。
中央にあるのが愛姫の父である三春城主田村清顕の墓。
ここにはなぜか真田幸村の墓もある。
先ほど来た道を戻り、白石市街へ行くことに。
その前に、道路がぶつ切りになっている部分を撮影。
片倉家家臣小関家の旧屋敷(武家屋敷)。
1991年に白石市に寄贈され、
宮城県指定有形文化財となっている。
武家屋敷の前を流れるのは沢端川。
沢端川に架かる橋を渡ると、天守が見えてきた。
円筒形ポストと煉瓦造りの煙突が並ぶ道を通り、
大きな常夜燈の横を通り過ぎると・・・
白石城跡(益岡公園)の入口に到着。
白石2に続く。
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[猪苗代二本松1/2福島丸森白石1/2)]


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