ウィークエンドパスの旅2010
猪苗代

2010年5月8日


[猪苗代二本松1/2福島丸森白石1/2]


岩殿山で無念の撤退をしてから中4日、
上野駅で友人と待ち合わせ、7時10分発の東北新幹線「やまびこ43号」に乗車。
南東北の城めぐりの旅が始まった。
なお、今回の旅には「土・日きっぷ」から衣替えした「ウィークエンドパス」を使用。
「ウィークエンドパス」は「土・日きっぷ」と違い、特急列車自由席乗り放題(+4回まで指定席利用可)の特典がなくなった
(青春18きっぷと違い、別途特急券を買えば特急列車に乗車できる)かわりに大人の値段が半額以下(18000円→8500円)になった。
今回鉄道での移動に使った金額が(ウィークエンドパスの料金)8500円+(特急料金)3880+4610=16990円なので、「土・日きっぷ」よりも1010円安く済んだ。
ただ、青春18きっぷを使える期間で特急を利用する距離が240km以内(3890円)ならば、特急に乗車する区間のみ普通の乗車券を買い、
残りの区間は青春18きっぷを使ったほうが安く済む。
※青春18きっぷを2回分使う場合。1回分のみ使用する場合は380km以内(6090円)ならば普通乗車券+青春18きっぷのほうが安い。

郡山で新幹線から下車。
中間改札を通り、磐越西線の乗り場である1番線へ向かう。
乗車する列車は快速喜多方行き。
この列車は6両編成だが、
途中の会津若松で4両切り離されるため、
会津若松で切り離される車両の行き先表示は
快速会津若松」となっていた。
喜久田、磐梯熱海と停車していき、
しばらく進むと進行方向左側に線路が分かれ、
叢に覆われつつあるホームが見えた。
ここはかつての中山宿駅。
旧中山宿駅はZ型のスイッチバック駅で、
郡山方面から来た列車は中山宿駅に停車した後、
一旦郡山方にある引き上げ線に入ってから
会津若松方へ向かっていた。
中山宿駅は1997年に会津若松寄りの勾配上に移転した。
(参考サイト:I love Switch Back
9時11分、猪苗代駅に到着。
喜多方行き快速列車を見送る。
1番線ホームには重さの違う3種類のレールが展示されていた。
この観光案内には今回の目的地は描かれていない。
猪苗代駅。
ロータリーは広い。
観光案内所前から磐梯山を見る。
<現在位置は右のYahoo!地図で表示>
北へ向かって歩いていると、
進行方向左手に錆び付いた貨車が。
右側の赤茶けた貨車の番号は読めなかったが、
左側の黒い貨車はワラ1形の「ワラ14250」。
※ワは有蓋貨車、ラは積載できる荷重が17t〜19tを表す。
裏にもう1両貨車があった。
こちらはワム80000形の「ワム86229」。
※ムは積載できる荷重が14t〜16tを表す。
さらに進むと、右手に猪苗代町役場。
目的地は近い。
猪苗代町ふるさと歴史館。(以下、歴史館と略す)
2009年に公民館を改装したもので、
外では駐車場の工事が行われていた。
入館無料で開館時間は9時〜17時。
後で見に来ることにし、先に進む。
歴史館の裏には小高い山がある。
ここが今回最初の目的地、猪苗代城(通称:亀ヶ城)跡。
亀ヶ城の見取り図。
往時の縄張りであるためか、現状と違うところもあり、
実は記載されている説明にも誤りがある。
※看板の真前に車が止まっていたため、
正面から撮影できませんでした。
山城部分への入り口となる門。
歴史館でもらった冊子には名称が記されていなかったが、
少なくとも大手門(追手門)ではない。
(上の見取り図にあるように、追手門はここより東の
平城部分にあったらしい)
「亀ヶ城址公園」の石柱を入れて
観光ガイド的なアングルで撮影。
ここは枡形になっており、
入るとすぐに突き当たって、先へ進む道は右にある。
右を向く。
右側の石垣の上には多聞櫓があったらしい。
鐘撞堂から枡形部分を見下ろす。
石段を上って1つ上の層へ。
ここが「胴丸」といわれている部分。
少し大手口に出っ張った形になっており、
大手口より侵入してくる敵への攻撃がしやすい位置である。
さらに上の層へ行ける石段があるが、後で上ることにして、
画面左方向へ進む。
見取り図では胴丸で行き止まりになっているが、
現在はその先にも道が作られている。
その道を進むと、南帯郭に出た。
南方にはかすかに猪苗代湖が見える。
二ノ郭へと上がる搦手道。
ここもパスして西帯郭へ向かう。
西帯郭の土塁上を歩く。
土塁の上から空堀(南方向)を見下ろす。
西帯郭。
なお、このあたりは見取り図では「二之郭」と書かれているが、
ここはあくまで帯郭であり、二之郭は別のところである。
西帯郭と南帯郭を結ぶ細い道。
この道の先は北帯郭。
その前に、西帯郭から土塁越しに磐梯山を見る。
土塁に上ると、向こうに見えるのは
猪苗代氏の隠居城といわれている鶴峰城跡。
左に見える北帯郭と西帯郭を結ぶ道を横から見る。
北帯郭から西帯郭への道を見る。
北帯郭から鶴峰城跡(左側の山)と磐梯山を見る。
北帯郭。
「磐梯の雪真向うに八重桜」と刻まれた句碑がある。
北帯郭東端の道を北に進むと・・・
稲荷神社がある。
見取り図によると、先ほどの道も往時にはなかったようだ。
稲荷神社側から見た参道。
帯郭を一回りしてきたので、石段を上る。
途中で二手に分かれているが、左へ行くことにする。
ここには櫓門があったらしく、両側に石垣が残っている。
その前に、踊り場から下方を撮影。
左側の石段を上がる。
上がりきって、少し進んだところで振り返って撮影。
低い石垣の上は本丸。
この郭には1957年(昭和32年)に
野口英世の生首・・・ではなく頭像が設置された。
先ほどの帯郭のところではなく、
野口英世の頭などがあるここが二ノ郭。
井戸門跡。
この道を下ると南帯郭の東側へ至る。
二ノ郭と本丸を隔てる黒門の跡。
搦手道に設置された西門の跡。
ここを下ると南帯郭の西側に出る。
いよいよ本丸へ。
その前に、石垣に上って二ノ郭櫓門跡を上から見る。
門の礎石が残っている。
丁字階段を上から見る。
←帯曲輪から上ってきて右側へ進むと本丸の東門がある。
左側に進んだ場合は二ノ郭櫓門がある。→
猪苗代城本丸。
建物は一切残っていない。
本丸北西側にある道から下り、
北帯郭と西帯郭の間にある道を下って鶴峰城跡へ。
下りきったところで振り返って撮影。
鶴峰城跡を上っていく。
土が軟らかいので上りづらい。
土塁らしき盛り上がりの右側から回り込む。
森の中に入る前に振り返って猪苗代城跡を撮影。
猪苗代城との間にある、道が通っているところは
往時は空堀だった。
森の中に入る。
このあたりは不自然なほど平坦になっているが、
往時からなのか、
それとも後世に平坦化工事が行われたのか。
左画像の中央にある土盛りも
土塁なのか、それとも後世に盛られたのか。
<右のYahoo!地図は鶴峰城跡のおおよその位置を表示>
比較的分かりやすい遺構である堀切。
←堀切から進行方向左側を見る。
進行方向右側には猪苗代小学校が見える。→
←ここも平坦になっている。曲輪の跡だろうか。
土塁と思われる部分の上を進む。→
藪ではなかったため進むのは難しくなかったが、
北側の土塁と堀切以外の遺構は見当たらず。
次の目的地へ向かうための時間が迫っているため、
引き返すことにした。
←空堀の跡に作られた道を南へ進む。
ピークを越え、下りかけたところで振り返って撮影。→
普通の公園のようなところに出た。
ここは見通しがよく、磐梯山もきれいに見える。
猪苗代町指定重要文化財の旧山内家住宅。
訪れたときはこのように板で覆われていた。
この後、歴史館を見学し、亀ヶ城入口バス停から
猪苗代駅行きのバスで駅に戻った。
駅前ロータリーには野口英世(中央)と
その母シカ(野口の左)、小学校時代の恩師である小林栄の
3人が彫られたレリーフがあった。
12時34分発の郡山行きで猪苗代を離れた。
<二本松編へ続く>

[猪苗代二本松1/2福島丸森白石1/2]


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