ウィークエンドパスの旅2010
二本松(その1)
2010年5月8日
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郡山駅に戻ってきた。 ここまでで200枚ほど撮影しており、 このペースで行くと手持ちのxDカードを使い切る可能性が高いことから、 郡山駅前のヨドバシカメラで追加購入。 駅ビルのフードコートで昼食をとってから構内に戻った。 郡山からは14時9分発の福島行き普通列車に乗る。 と、その前に・・・ |
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6番線に停車中のキハ110系の隣に 寝台列車用の24系客車が留置されているのを友人が見つけた。 幕の表示は「試運転」。 |
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福島方には側面に流星が描かれた北斗星仕様(?)の EF510形電気機関車EF510-503が止まっている。 |
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EF510-503が24系客車に連結された。 なお、railf.jpによるとEF510-503+24系の試運転が 3日に東北本線で行われていたらしい。 福島行き列車に乗っているときに 日和田駅などでカメラを持った人を見かけたので、 この日も試運転が行われたのだろうか。 |
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二本松駅で福島行き普通列車から下車した。 二本松城跡で秋に行われるイベント「二本松の菊人形」にちなんで、 跨線橋には菊が描かれている。 |
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二本松駅前では駅前広場および駐車場の整備工事が行われていた。 駅前通りから福島県道355号に出て、東へ進む。 |
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最初の角を左折すると、二本松城大手門跡。 両側の石垣が残っている。 |
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大手門跡から少し坂を上ったところにある 二本松市歴史資料館を見学(入館料:大人100円)。 |
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館外に展示されている資料。 ←江戸の二本松藩上屋敷跡から出土した石垣の石材。 |
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久保丁門の礎石。 大手門(坂下門)ができる前は、 坂の上にある久保丁門が事実上の大手門だった。→ |
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一旦県道に戻り、さらに東へ。 ミニストップのある角を左折して坂を上ると 二松山安達院称念寺に到着。 もともとは法相宗の「松念寺」だったが、 弘安三年(西暦1280年)に時宗に改宗した。 |
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「南無阿弥陀佛」と刻まれた石柱(左)に、 大小様々な地蔵。 |
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簡素な山門と本堂。 | |
二本松市指定有形文化財の 「浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔婆」。 傍らにあった説明板によると、 「三尊来迎供養塔婆」は 福島県中通り地方特有のものらしい。 |
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称念寺を訪れた目的はこの先にある。 | |
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<右上の地図で表している部分が現在地> 畠山公墓所。 奥には奥州探題畠山家累代の墓、 両脇には伊達政宗との「粟の須の戦い」で 11代当主義継とともに討ち死にした家臣23名の墓がある。 |
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西に戻り、駅のそばにある二本松神社へ。 | |
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ひたすら階段を上る。 | ![]() |
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門をくぐると、右手に社務所、奥に拝殿が見える。 拝殿の屋根には二本松藩主丹羽家の家紋 「直違」(すじかい)がついている。 この二本松神社の祭神は伊邪那美命と品陀和気命だが、 丹羽家の守護神である品陀和気よりも 庶民の守護神である伊邪那美を上座に祀ったらしい。 |
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二本松神社を後にし、さらに西へ進もうとしたところで 進行方向右手にトマソンのような光景が。 |
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大隣寺への参道を歩いている途中、進行方向右手に石碑群が。 中央の石碑(2文字目は自信ないが「山福堂」か)には 「天保四年巳九月」(癸巳:西暦1833年)という年月が刻まれている。 右端は最近よく見かける「廿三夜」。 |
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丹羽家の菩提寺である巨邦山(こほうざん)大隣寺。 道路を渡る手前には、右の画像のような 「不許葷酒入山門」(葷酒山門に入るを許さず)と刻まれた 戒壇石がある。 石段を上った先にはかつて山門があったらしいが、 明治維新の時期に売却されて今はない。 |
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石段の左脇には、 ここが二本松少年隊の副隊長・二階堂衛守と 隊士・岡山篤次郎の戦死した地であることを 後世に伝える石碑が建っていた。 この後、大隣寺以外の場所でも 少年隊隊士の戦死の地を表す石碑をいくつか見かけた。 |
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大隣寺境内左手に少年隊の墓所がある。 中央には戦死群霊塔。 |
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戦死群霊塔の両脇に隊士の墓が並ぶ。 | ![]() |
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戦死群霊塔の左に並ぶ墓のさらに左にある、 会津藩・仙台藩の戊辰戦役供養塔。 |
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二本松藩主丹羽家歴代の位牌を納めた御霊屋。 | |
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大隣寺本堂。 正面に車が止まっていたため、 このようなアングルでしか撮影できなかった。 |
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本堂の裏には開山堂がある。 | |
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本堂の左から丹羽家の霊廟へ向かう道を行く。 | |
ここには9代藩主長富までの墓があるが、 長富の墓だけはそれ以前の藩主とは別の場所にあった。 |
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内室の陰墓と家族の墓。 陰墓は藩主が生母を陰ながら供養するために造られたもので、 墓標などは立てられなかった。 |
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行き止まり部分に 初代藩主光重から8代藩主長祥までの墓があった。 一番右に見えるのが初代藩主光重の墓。 (本当はその右に7代藩主長貴の墓があるのだが、 この画像には写っていない) |
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大隣寺を後にするため、石段を下る。 奥に見えるのは二本松観光センター「隊士館」。 |
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二本松城(霞ヶ城)跡への坂を上る。 途中、松坂御門の跡といわれている場所を通ったが、 門らしき跡はまったくない。 <二本松2へ続く。 ページの上または下にあるリンクからも移動できます。> |
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