ウィークエンドパスの旅2010
二本松(その2:二本松城)
2010年5月8日
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16時44分、ようやく城の駐車場に到達。 奥には建物も見える。 |
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城内への上り坂があるが、 こちらへは行かず正面へまわることにした。 |
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三の丸の城壁と石垣。 | |
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箕輪門が見えてきた。 | |
城のそばには 「少年隊隊士・成田才次郎戦死の地」の碑があった。 |
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箕輪門を中央に捉える。 | ![]() |
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城正面に到着。 | ![]() |
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箕輪門の手前には 「二本松少年隊群像」がある。 →はさらに手前にある「霞ヶ城址」の石柱を入れて 観光ガイド風に撮影。 なお、群像裏手あたりは「千人溜」。 この時は地元の子供たちが遊んでいたので まともに撮影できず。 |
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東側から城壁・石垣と箕輪門の櫓を撮影。 すでに17時をまわっており、日は西に傾いている。 |
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旧二本松藩戒石銘碑(国指定史跡)。 寛延二年(西暦1749年)に二本松藩5代藩主 丹羽高寛が藩士の戒めとするため、 儒臣岩井田昨非の進言により 「爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺」 と刻ませた。 |
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戒石銘碑そばから箕輪門方面を撮影。 | |
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箕輪門まで戻ってきた。 | ![]() |
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霞ヶ城公園(二本松城址)の案内図。 南西にある灰色の部分が このページ最初の画像に写っている駐車場。 |
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いよいよ箕輪門より入城。 | |
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箕輪門を城内から撮影。 | |
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狭い通路を通り、 | |
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階段を上がって三の丸へ。 | ![]() |
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霞ヶ城会館の裏側。 石垣部分が張りぼてなのは仕方ないか。 左の階段を上がった先には観光会館がある。 |
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三の丸跡。 画像右側に見える銅像は、二本松城址に 日本初の民間機械製糸工場「双松館」を発足させた 山田脩のもの。 |
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相生の滝。 近世にはなく、1934年(昭和9年)に作られた。 |
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奥に見える数奇屋風の茶室は「洗心亭」 (福島県指定重要文化財)。 創建は17世紀半ばと推定されている。 |
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西側から相生の滝方面を撮影。 | |
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いよいよ本丸へ上っていく。 | |
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二本松藩士自尽の地。 戊辰戦争時に主戦論者だった 家老・城代・小城代の3名が責任を取って ここで割腹して果てた。 |
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本丸まではあと少し。 行く先には井戸が見える。 |
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本丸の石垣が見えた。 | |
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先ほど見えた「日影の井戸」に到着。 千葉県印西市浦部の竜崖城址そばにある 「月影の井」、 神奈川県鎌倉市坂ノ下の虚空蔵院門前にある 「星ノ井」 とともに「日本の三井」("みつい"ではない) と称されるが、 現在「月影の井」は水が濁っているようで、 「星ノ井」は蓋がされていて中が見えないらしい。 |
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本丸を見上げる。その左には・・・ | |
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慶長年間初期に穴太衆によって築かれたという、 本丸下南側の大石垣。 |
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この階段を上がると・・・ | ![]() |
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ようやく本丸到達。 時刻は17時58分。 |
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本丸の東にある乙森の跡。 | |
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中に先客がいたので、 先に周りを見てまわることにした。 まずは東から北へ。 |
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天守台下にあった穴太積みの石垣。 風化していることから、本丸復元工事の際に この場所へ移築された。 |
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18時7分、 太陽が安達太良山の向こうに沈もうとしている。 まともに撮影できるのはあと何分だろうか。 |
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西→北(天守台)方面の石垣。 | |
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西櫓台付近の石垣。 | |
「奥州探題畠山氏居城霞ヶ城址」 と刻まれた記念碑。 1953年に畠山氏の庶流・二本松氏の23代目が 本丸入口左側の石垣修復を記念して建立した。 |
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本丸の入口。 | ![]() |
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階段を上がり、桝形虎口から東櫓台を見る。 | |
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本丸から南東方向を望む。 後に二本松駅へ向かうときは 左画像中央の橋をくぐった。 |
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天守台。 | |
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二本松城本丸跡。 奥に見えるのが西櫓台。 |
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東櫓台。 | |
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東櫓台そばには 戊辰戦争で二本松城が落城した際に自刃した 城代丹羽和左衛門と勘定奉行安部井又之丞の 供養碑がある。 |
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東櫓台から乙森跡を見下ろす。 | |
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東櫓台から二本松市街を見下ろす。 画像中央付近に見えている白い建物は 二本松郵便局。 郵便局から10時の方向には二本松市役所、 8時の方向には城跡へ来るときにくぐった橋が 見える。 |
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東櫓台から見た枡形虎口。 | |
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東櫓台から天守台を見る。 | |
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18時22分、天守台から安達太良山を見る。 | |
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天守台から西櫓台方面を見る。 | |
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天守台から東櫓台・入口方面を見る。 | |
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西櫓台。 | |
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南側には櫓台がない。 | |
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18時27分、本丸を後にし、搦手口へ急ぐ。 | |
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搦手門の石垣 (内側から外側に向かって左手にある)。 |
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門から少し離れたところにある石垣。 | |
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門の礎石が残っている。 | |
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もう片方の石垣(内側から外側に向かって 右手にある)は崩れかかっている。 |
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こちらの石垣は崩れそうもなく、 立入禁止なども書かれていなかったので 上ってみた。 |
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石垣の上から見た搦手門跡。 | ![]() |
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頑丈なほうの石垣を門の外側から見る。 | |
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外側から見た搦手門跡。 | |
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下から石垣を見る。 | |
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搦手門を後にしたのは18時37分。 | |
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智恵子抄詩碑。 | |
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見晴台のような場所。 | |
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二本松市指定天然記念物の、 樹齢300年といわれる傘松。 |
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るり池。 | |
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1時間10分前に三の丸から見た「洗心亭」の 真下を通る。 |
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このページの2枚目の画像に写っている坂を下り、 2時間ぶりにこの場所に戻ってきた。 東側の道を通り、坂を下るとそこは大手門跡だった。 3度同じ道を通り、二本松駅に到着。 20時7分発の仙台行き普通列車でこの日の宿泊地・ 福島市へ向かった。 <福島編へ続く> |
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