旅の記録2013 |
竹 原(その1) <2013年たけはらの旅第1部:竹まつり編> |
2013年5月4日 |
福 山1 | 福 山2 | 竹 原1 | 竹 原2 | 大崎下島1 | 大崎下島2 |
竹 原3 | 竹 原4 | 岡 山 | 旅の記録トップ |
![]() |
![]() |
三原駅の一つ手前、糸崎駅で始発の呉線経由広島行きに 乗り換え。8時11分、竹原駅に到着した。 |
竹原駅は島式1面2線。 |
![]() |
JR西日本標準の「竹 原」の駅名標のほかに、 "竹のまち竹原"のイラスト入りの駅名標「竹原駅」と 呉線沿線観光MAPが設置されている。 |
![]() |
![]() |
改札を出ると、向かって右側はスロープ。 そして左側の地面には・・・ |
「おかえりなさい」の文字。 もととなった字は小坂政司・竹原市長が書いたらしい。 (参考:「広報たけはら平成23年11月号」) |
![]() |
JR竹原駅と、駅前のロータリー。 後ろには三井金属鉱業竹原精錬所の煙突が見える。 |
![]() |
![]() |
竹原市役所。 | 国道432号に面した入口脇には、 アニメ「たまゆら」の舞台であることをアピールする 看板が設置されている。 |
![]() |
本川に架かる新港橋。 奥には「道の駅たけはら」がある。 右奥の鎮海山には能島村上水軍の砦があり、 村上元吉(慶長5年に伊予三津浜で戦死)の 墓といわれる宝篋印塔などが残っているものの、 9段あったといわれる曲輪の遺構は ほとんど残っていないらしい。 |
![]() |
新港橋から本川の上流方面を見る。 左岸には雁木が設けられている。 これは、かつて本川が300年近くに渡って 港としてにぎわっていた名残である。 呉線(当時は国鉄三呉線)の鉄橋が昭和7年に架かって 船の出入りが出来なくなったため、 港は本川の河口に移った(現在の竹原内港)。 |
![]() |
新港橋東詰の左岸にある頼山陽広場。 車止めがたけのこの形になっている。 広場内には頼山陽の銅像と詩碑がある。 |
![]() |
竹原市重要文化財・森川家住宅(森川邸)。 竹原はかつて塩田地帯として栄え、 森川邸があるこの場所も1番浜といわれていた 塩田だった。 元竹原町長・森川八郎が石垣で敷地を造成し、 沼隈(福山市)にあった山路家の主屋を移築した上で 玄関・座敷・台所を増築した。 |
![]() |
![]() |
本川に架かる住吉橋と「日の丸寫眞舘」旧店舗。 住吉橋は本川の港が廃止された後に架けられた。 左奥の寺山山腹には西方寺の建物が小さく見える。 |
アニメ「たまゆら」で何度も登場する「日の丸寫眞舘」 旧店舗。南京下見板張りの2階・3階はほぼそのままだが、 1階部分は別物になっている。なお、戦前は コンクリート造りのような外見だったらしい。 |
![]() |
本川左岸・港跡の雁木は、 頼山陽広場から住吉橋を過ぎて 楠神社手前まで続いていた。 |
「日の丸寫眞舘」旧店舗横の神明掛町通りを通って、竹原市重要伝統的建造物群保存地区へ。 | |
![]() |
![]() |
旧笠井邸。 明治5年に建造された、浜主(塩田経営者)の家。 |
旧笠井邸前から撮影した 町並み保存地区のメインストリートである「本町通り」。 |
![]() |
![]() |
竹鶴酒造。「小笹屋」の屋号を名乗っている。 ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の生家でもある。 土・日・祝日は「小笹屋酒の資料館」として 酒造りの道具の展示や日本酒の試飲を行っている。 |
竹原市重要文化財・松阪家住宅(松阪邸)。 唐破風の屋根、菱格子になっている2階の窓などが特徴。 松坂家は「澤田屋」の屋号で薪問屋を営んだのち、 塩田経営や醸造業などの多角経営を行った。 |
![]() |
![]() |
アニメ「たまゆら」に登場する「ほぼろ」のモデルとなった お好み焼き店「ほり川」。もとは吉井家の酒造蔵で、 昭和になって堀川家の所有となり、一時は醤油蔵として 使われていたこともある。 隣は堀川家の醤油醸造所で、ここで造られた醤油は 町並み保存地区内にある土産物屋でも売られている。 |
「初代郵便局跡」。 現在の竹原郵便局は国道432号沿い、 市役所の向かい側(中央3丁目)にある。 |
![]() |
![]() |
久保谷邸の隣にあるのは・・・ | アニメ「たまゆら」に登場するcafe「たまゆら」の モデルになった茶房「ゆかり」。 |
![]() |
竹原市歴史民俗資料館と憧憬の広場。 歴史民俗資料館の建物は昭和4年に 竹原町立竹原書院図書館として建てられた。 図書館は昭和47年2月に市役所近く(中央4丁目)の 別の建物に移り、残ったこの建物は昭和55年6月から 歴史民俗資料館として使われている。 憧憬の広場では前日から開催されている 「第25回たけはら竹まつり」の準備が行われていた。 |
![]() |
歴史民俗資料館と憧憬の広場の間には 江戸時代に土地の境界としていた 地割の跡が残されている。 |
![]() |
「お抱え地蔵」へ向かう道。 左側にはまちなみ竹工房(旧城原家土蔵)と 修景広場があるが、 前年から保存修理工事を行っていてご覧の有様。 道幅も狭くなっている。 お抱え地蔵には後で行くこととし、先に進む。 |
![]() |
![]() |
ョ惟清旧宅(広島県指定史跡)。 ョ山陽の祖父・惟清がここで紺屋を営んでいた。 |
本町通りの北端に鎮座する胡堂(恵比須社)。 商売の神様としてだけでなく、その位置から 境界神としての性格も持っていたといわれる。 |
![]() |
![]() |
胡堂の突き当りを右折すると照蓮寺 (浄土真宗本願寺派、山号は龍頭山)がある。 脇門は19世紀前期に建てられたといわれている。 |
照蓮寺の下にある酒造用井戸。 石組に天和3年(1683年)の銘がある。 |
![]() |
![]() |
照蓮寺の境内。もとは曹洞宗の定林寺で、 竹原小早川氏の学問所でもあった。 慶長8年(1603年)に浄土真宗に改宗された。 文禄の役で朝鮮から持ち帰った「高麗鐘」は 国の重要文化財に指定されている。 |
照蓮寺本堂。 現在の本堂は元文2年(1737年)に再建された。 |
![]() |
![]() |
宝暦13年(1763年)建立の照蓮寺楼門。 大晦日にはここで除夜の鐘が撞かれる (アニメ「たまゆら」12話でもその様子が描かれている)。 |
照蓮寺の参道。 左手には水路がある。 |
![]() |
![]() |
本町通りに戻り、胡堂前から南方向を撮影。 | 「お休み処 いっぷく」。 |
![]() |
本町通りと反対側から見た修景広場。 |
![]() |
![]() |
お抱え地蔵に向かう坂の麓、歴史民俗資料館の裏に・・・ | いくつかの石塔がある。現地の説明板によると、 これらは竹原小早川氏の菩提寺だった法浄寺の跡地 (竹原市新庄町)から出土したらしい。 |
![]() |
この坂を上った先にお抱え地蔵がある。 |
![]() |
![]() |
お抱え地蔵。 願い事を祈りながら地蔵を抱え、軽く感じれば 願い事がかなうといわれる。 |
試しに手をかけて見たが、その時点でかなり重く感じ、 無理に抱えようとすると落としそうだったので 持ち上げずにそっと元に戻した。 |
本町通りに戻り、初代郵便局前へ。<その2に続く>