2012京の遊々きっぷの旅(2日目:洛中編)
嵐山(渡月橋)・嵯峨(大覚寺)
2012年11月24日

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山科からは結局地下鉄東西線を終点太秦天神川まで
乗り通した。地上に出て、地下鉄との接続のために
新設された嵐電天神川駅から京福電車に乗車。
京福電車の終点・嵐山駅。
京福電車は「京都観光一日乗車券」の対象外であるため、
別途京福電車の一日乗車券(500円)を購入した。
桂川に架かる渡月橋(京都府道29号の一部)と嵐山。 渡月橋の北詰から桂川の上流方向を見る。
ここにある堰は5世紀に秦氏によって築かれた
葛野大堰(かどのおおい)がベースとなっているらしい。
渡月橋上から桂川の下流方向を見る。
渡月橋からバスに乗車し、嵯峨の大覚寺(山号は嵯峨山、真言宗大覚寺派大本山)にやってきた。
もとは嵯峨天皇の離宮だったが、天皇崩御後の貞観18年(876年)に嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王を
初代門跡として寺に改められ、大覚寺となった。
徳治2年(1307年)に落飾した後宇多法皇が入寺して寺を復興し、以後後宇多法皇およびその皇統(大覚寺統)は
大覚寺で院政を行うようになった。元中9年(1392年、北朝では明徳3年)にはここで南北朝の講和がなされた。
境内にある筆供養塔。 大覚寺表門。
宸殿の廊下から紅葉を見る。 唐門(勅使門)。
霊明殿。
大覚寺に功労のあった人の過去帳・位牌を祀る。
石舞台と唐門(勅使門)。
6m四方の雅楽・舞楽用の石舞台がある場所には、
かつて五大堂(本堂)があった。
鐘楼と紅葉。
大沢池。周囲約1.2kmで、嵯峨天皇が洞庭湖を模して造らせたといわれる。
平成20年には池に突き出すように雅楽・法会を行うための6m四方の舞台を設置した。
放生池。
奥に見えるのは「心経宝塔」。
天神島から僧侶が5人、橋を渡ってきた。 不動明王を祀る護摩堂の前で読経を行う僧侶。
護摩堂のそばには6体の如来像を含む
多数の石仏群がある。
橋を渡って天神島へ。 天神島に面する水際の紅葉。
左の「嵯峨」碑は昭和34年に当時の華務長・辻井弘洲の
喜寿を記念して建てられた。「嵯峨」の文字は
大覚寺53世草繋門跡の筆跡が刻まれている。
右は茶筅塚。
天神島にある、菅原道真をまつった祠。
大覚寺の公式サイトでは、この祠の辺りが
初代門跡恒寂入道親王・淳和太后母子の墓所である
という説を紹介している。
「心経宝塔」と称する多宝塔。昭和42年に
嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立された。
閼伽堂。中にある閼伽井は大覚寺が嵯峨天皇の離宮・
嵯峨院だった頃、弘法大師・空海が天皇の命により
持仏堂「五覚院」を建立するにあたって掘ったという。
阪神・淡路大震災によって水量が減ったため、現在は
電動ポンプで水を汲み上げており、公開は期間限定。
左側は大日堂。もとは岩倉山真性寺にあったが、
同寺が明治4年に廃寺になった際に移築された。
右側は歓喜自在天、聖観世音菩薩像を祀る聖天堂。
「名勝大澤池附名古曽瀧趾」と刻まれた石柱を入れて
観光ガイド風に大沢池を撮影。
大沢池の南には有栖川という小さな川が流れている。
左に見える建物は望雲亭。
勅封心経殿。
大正14年に後宇多法皇600年、後亀山天皇500年の
御遠忌記念事業として、法隆寺の夢殿を模して建立された。
嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇・
正親町天皇・光格天皇の60年に1度しか開封できない
勅封心経や薬師如来立像が納められている。
霊明殿の西側にある庭園。

バスで京福嵐山駅に戻ると、京福電車に乗って北野へ向かった。

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