2012京の遊々きっぷの旅(1日目:洛外編)
宇治(その1)
2012年11月23日

紅葉の見ごろである11月下旬に・・・

そうだ
京都、
行こう。
京都にやってきた。

今回の旅で使用したのは「京の遊々きっぷ」。
京都までの往復の新幹線乗車券(*1)と「京都観光一日乗車券」(*2)の引換券がセットになった企画乗車券である。
東京都区内(新幹線の乗降車駅は東京または品川)発着の値段は27,100円だが、
通常期の東京・品川−京都間の往復(のぞみ号利用時)が27,040円(片道13,520円の2倍)、
「京都観光一日乗車券」は1,200円なので、
京都市内の観光が目的で、「京都観光一日乗車券」が使える路線を利用する予定の場合は
「京の遊々きっぷ」を購入したほうがお得である。
(「京都観光一日乗車券」引き換え時に、神社仏閣や飲食店で使える優待券がついた
「京都観光ガイドマップ」をもらえるので、その優待券も使えればさらにお得になる。)
なお、「京都観光一日乗車券」がつかない代わりに奈良方面のJR・近鉄と奈良交通バスが4日間乗り放題になる
「奈良・大和路遊々きっぷ」はわずか400円増し(東京都区内発着なら27,500円)なので、
奈良方面に足を伸ばす予定がある場合はこちらを購入したほうがお得な場合もある。

*1:運賃・特急料金とも含まれているが、普通車指定席利用の場合は予め指定席券売機・みどりの窓口で
「新幹線指定券」を発券する必要がある(追加料金は不要)。途中下車不可。
また、ゆき券の着駅およびかえり券の発駅は「京 都」のみなので(「[京]京都市内」ではない)、
京都駅到着後、または帰りの京都駅までの移動にJR西日本の各路線を利用する場合は別途乗車券が必要。

*2:京都市営地下鉄全線、市営バスの定期観光バス以外の全線、
京都バスのほとんどの路線が1日乗り放題になる磁気カード式乗車券。

さて、この日の目的地は京都市中心部ではない。
鴨川を渡り・・・
京阪電車の七条駅から淀屋橋行き特急列車に乗車。
中書島駅で宇治線の普通列車に乗り換え、
終点・宇治駅に到着。
宇治駅のホーム・改札口と駅舎の間には
JR奈良線の線路が通っているので、
ホーム・改札口と駅舎を行き来する場合は
奈良線をくぐる道を通ることになる。
宇治川に架かる宇治橋。国内最古級の橋で、初代は
大化2年(西暦646年)に架けられたと伝えられている。
現在架かっている橋は平成8年に竣工したもの。
宇治橋のたもと(右岸)から対岸を見る。
ここでは橋を渡らず、右岸を南東方向に歩く。
橋寺放生院。現地の案内板によると、西暦604年
(推古天皇12年)に厩戸皇子(聖徳太子)の発願で
秦河勝が建立したと伝えられており、
宇治橋が架けられた後は橋の守り寺と呼ばれている。
弘安9年(1286年)の宇治橋架け替えの際に
放生会を行ったことから、以後橋寺は
放生院とも称されるようになった。
お茶どころ・宇治ならではの、
ペットボトル入り茶しか売っていない自動販売機。
下段はJTの「辻利 焙じ茶」(ホット・275ml)、
中段はJTの「辻利 宇治抹茶入り緑茶」(ホット・275ml)
上段の左側4つはJTの「辻利 宇治抹茶入り緑茶」
(コールド・500ml)、
右側6つは地元の京都府茶協同組合が販売している
「碾茶入り宇治茶 生粋」(コールド・500ml)。
宇治川の上流方面。赤い橋は朝霧橋。 宇治川の下流方面。右奥に宇治橋が見える。
宇治神社のそばにある3つの石碑。
右から「式内宇治神社」、「長者尚※翁像」、
「宇治川祭記念之碑」。
注:※は左側(偏)が冂、右側(旁)がおおざと。
長者が中世において「槇長者」としてこの辺りを治めた
槇島氏のことなのか、それとも宇治拾遺物語の
「藁しべ長者」のことなのかは不明。
また、かつては像があったようだが失われて台座のみに
なってしまった理由もwebなどを含めて手がかりなし。
「宇治川祭」も現存する「宇治川さくらまつり」のことなのか、
それともかつて行われていた祭りなのか不明。
宇治神社の鳥居。 宇治神社の参道。
「源氏物語 宇治十帖」のモニュメント。 少し引いて紅葉とともに。
朝霧橋のたもとから宇治川の上流方向を見る。 ズームして十三重石塔を撮影。
石塔がある中の島はその名も「塔の島」。
朝霧橋の向こう側の中の島は
「橘島」という名がついている。
左奥に見える平等院がある宇治川左岸へ行くには、
もう一つ橋を渡らなければならない。
朝霧橋を渡って橘島へ向かう。
朝霧橋の半ばで下流方向を見る。
宇治橋の向こうにあるJR奈良線の宇治川橋梁を
221系電車が渡っているが、この画像サイズでは
小さすぎてわからない。
朝霧橋の半ばで上流方向を見る。
関電宇治発電所からの流水路に架かる「観流橋」。
宇治浮島十三重石塔(国指定重要文化財)と喜撰橋。
高さ約15mの十三重石塔は
奈良西大寺の高僧・"興正菩薩"叡尊によって
弘安7年(1284年)に魚霊の供養と
宇治川での殺生の戒めとして建立された。
その際、網代や漁具を石塔の下に埋めたという。
なお、石塔は建立されてから
ずっとここにあり続けたわけではなく、
宝暦6年(1756年)の洪水で倒壊してから
明治41年(1908年)に発掘・再建されるまで
宇治川の中に没していた。
宇治川先陣の碑。
寿永3年(1184年)の源義経と木曽義仲による
宇治川の戦いの際に義経方の梶原景季と佐々木高綱が
先陣争いをしたという故事に因んで昭和6年に建立された。
宇治川左岸と橘島の間に架かる橘橋。
橘島の先端から宇治川下流方向を見る。 奈良線の宇治川橋梁を渡るJR西日本の103系電車。
橘橋の半ばから宇治川上流方向を見る。
なお、橘島・塔の島で宇治川本流と分かれている部分は
塔の川と名付けられている。
宇治川左岸から平等院へ。しかし・・・
→その2へ続く

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