2012京の遊々きっぷの旅(1日目:洛外編)
→京都駅
2012年11月23日

<宇治に戻る(その1その2

中書島駅で普通列車から降りると、ホームの反対側・2番のりばにやってきたのは淀屋橋行き特急列車。
特急は目的の駅に停車しないのでやり過ごし、その後に入線した中之島行き準急列車に乗車、次の淀駅で下車した。

JRA(日本中央競馬会)の京都競馬場は
淀駅のすぐそばにあり、高架上からコースが見える。
この日は競馬開催日ではなく、すでに京都競馬場での
この年の開催は終了しているため、ひっそりとしている。
淀駅ホーム。
2番のりばは2011年、
3・4番のりばは2009年に高架化された。
淀駅の南西に位置する與杼(よど)神社。
現地の説明板によると、
平安期の応和年間(西暦961〜964年)に千観内供が
肥前国佐嘉郡河上村(現在の佐賀県佐賀市大和町)
にある與止日女大神(現・與止日女神社:肥前国一宮)
を勧請したことに始まると伝えられているらしい。
元はここより西の桂川を越えた先、水垂町に鎮座し
桂川の水上交通の守護神とされていたが、
明治33年に淀川の改修工事に伴って
淀城跡のこの場所に移された。
慶長12年(1607年)建造の拝殿は国指定重要文化財。
淀城跡公園の入口。
公園内には淀藩主稲葉氏の祖・稲葉正成を祭神とする
稲葉神社がある。
入り口のすぐ左手にある本丸石垣。
整列するように並べられた4つの石碑。
右から「唐人雁木旧趾」「永代常夜燈」「淀小橋旧趾
淀城之故趾」。
永代常夜燈以外の3つはいずれも元の位置から
ここに移設された。
画像右端の説明板によると、「唐人雁木」は江戸時代、
朝鮮通信使が上陸するために特設された桟橋で、
実際の位置はここから約200m北の納所町付近らしい。
井戸の跡。 天守台石垣。
埋門のような形状の門跡。
先ほどとは違うアングルからの天守台石垣。
天守台には入れなかった。 カメラのレンズ越しに見た天守台内部。
外側に目をやると、京阪電車の高架と
復元された水車(画像右下)がある。
本丸南側の城壁。 本丸南側の石垣と紅葉。
坤(西南)にある隅櫓跡と思われる石垣。 本丸の西端にある石碑。
左側は「淀城址」、右側は「淀町出身戦没者慰霊碑」。
乾(西北)にある隅櫓跡と思われる石垣。 隅櫓跡には「明治天皇御駐蹕址」があった。
西南隅。 西南隅から東方面を見る。
高架化された線路を走り淀駅へ向かう京阪電車。
與杼神社神輿庫の古材で造ったという淀城天守の模型が
なぜか乾の隅櫓跡下にあった。
淀城本丸西側の堀。
淀城跡公園の東にある駐輪場から本丸の石垣を見る。 少しだけ残っていた本丸東側の堀。
この後、淀駅に戻り出町柳行き普通列車に乗車。
丹波橋駅で近鉄京都線に乗り換え、
京都行き急行列車で京都駅に到着。
京都駅ビルではすでにクリスマスツリーが飾られており、
多くの人がカメラを向けて撮影していた。
2005年の12月25日に初めて見て以来、何度となく
旅行中に京都駅で途中下車した際に見かけた
駅ビルのクリスマスツリー、来年も見られるだろうか。
京都駅ビルから見た京都タワー。

京都拉麺小路の「ラーメン東大」で早目の夕食を済ませると、京都駅から湖西線経由敦賀行き快速列車で宿泊地へ向かった。

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