円町駅別館 YenTown Station annex旅の記録2010
笠 間
Kasama
[茨城県笠間市]

2010年3月20日


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15時10分、水戸線との乗換駅である友部駅(笠間市)に到着。
次の目的地である笠間の中心地へ行くなら、通常は水戸線の小山行き(次の列車は15時49分発)で笠間駅まで行く。
しかし、笠間で訪れる場所は笠間城なので、友部駅北口から出ている「かさま観光周遊バス」(1乗車100円)に乗ったほうが笠間城に近いところまで行けて時間・運賃とも節約できる。
友部駅の改札を出て北口に降り、3番線に小山行き電車が入線するのを眺めながらバスを待つ。
15時50分発の周遊バスに乗って笠間へ向かった。
バスに乗ること約20分、笠間日動美術館・企画展示館前の「日動美術館」停留所で下車。
美術館脇の坂道を上り、佐白山麓公園に到着。
江戸時代にはここに、笠間藩主が政務を執る下屋敷があったらしい。
大石内蔵助良雄の銅像。
なお、内蔵助の主君である浅野家はかつて(元和8年−正保2年)笠間藩主だったが、内蔵助が生まれる前に播州赤穂へ移っている。
時鐘楼。
中にある時鐘は笠間市指定文化財となっている。
旧笠間市立美術館。
明治33年に明治天皇が笠間に行幸された際に行在所として使用した西茨城第一高等小学校の校舎の一部を佐白山麓の現在地に移転・改築して、国宝の仏像の石膏コピーを展示していた。
義士顕彰碑。
前述の通り、赤穂浪士の主君である浅野家がかつて笠間藩主であったという縁で昭和38年に建立された。
「誠」の字は広島出身の内閣総理大臣・池田勇人の筆によるが、浅野本家が広島藩主だったからだろうか。
笠間城天守曲輪への山道を登り始める。
北条→小田、土浦での歩きで溜まった足の疲労に耐えながら、昨年10月に訪れた韮山城よりもきつい山道を登っていく。
石垣らしきものが見え、ようやくついたかと思った。
登り切った先は・・・
まだだった。
さらに進むと広いところに出た。
画面左端のほうに見えている案内図によると、ここが本丸らしい。
案内板そばの階段を上がると、八幡台。
ここにあった櫓が市内の寺に移築されている。
八幡台の先に進むと東屋が建っていたが、手前に危険な溝が。
この東屋を利用する場合は足元に注意すべし。
八幡台を降り、堀切を渡って天守曲輪へ。
「天主跡」の碑は比較的新しいが・・・
石垣が見えてきた。
笠間城の天守は二層であり、こちらは下層側の石垣。
崩れそうになっているのか、左側には「危険 立ち入らないでください」の注意書きとトラロープが。
さらに石段を登る。
頂上には大きな石が見える。
頂上へ最後のアプローチ。
石段は隙間が開いたり傾いたりと、かなり危険な状態。
あと少し。
天守曲輪上層に到達。
殿守(殿主)櫓があったところには現在、佐志能神社が鎮座している。
佐白山の標高はガイドマップなどでは182mと書かれているが、ここでは209mと記されている。
佐志能神社本殿。
佐志能神社のさらに奥には石倉があるらしいが、足元がかなり不安定な上に、すでに17時を過ぎていて日が傾いていることから到達を断念。
佐白山から撤退した。
※なお、翌年(平成23年)の「東日本大震災」で天守曲輪の石垣や石段が崩れてしまったようで、一部立入禁止になっているらしい。
夕日が山に沈もうとしている。
現在地の左手は・・・
浅野家が笠間藩主だった時代に家老大石良欽(内蔵助良雄の祖父)の邸宅があったとされる場所。
浅野家が赤穂に移った後も、この地は笠間藩主の家老の屋敷として使われたらしい。
大石邸跡から北に歩くこと10分、真っ暗になる前にたどり着いたのは長耀山真浄寺。
ここに、笠間城から移築された八幡台櫓がある。
明治13年に払い下げを受けて移築され、七面大明神、三十番神、鬼子母神が奉祀されたことから「七面堂」という通称がついた。
昭和44年に茨城県指定文化財となり、昭和47年4月から昭和49年3月にかけて修理が行われた。
裏側に回って撮影。
真浄寺を後にしたときにはすでに18時を回っており、すぐにあたりは闇に包まれた。
この後は民家に移築された城門を見に行く予定であったが、この時間・この暗さで土地勘のない場所を歩くのは危険ということで断念。
代わりに国道50号沿いにある巨大な笠間焼の壷を見てきた。
脇道から見上げるように撮影。
笠間藩の藩校「時習館」跡。
現在は笠間市立笠間小学校が建っている。
笠間簡易裁判所近くにある「御神楽講」と刻まれた大きな石灯籠。
19時32分、水戸線笠間駅に到着。
笠間駅の改札口。
この駅も「東京近郊区間」に組み込まれ、Suica対応の自動改札機が設置されている。
ここから19時56分発の水戸線上り小山行きに乗車、小山で湘南新宿ライン横須賀線直通)大船行き普通列車に乗り換え、新宿でJ氏と別れた。
帰宅したのは23時30分頃だった。

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