円町駅別館 YenTown Station annex 秋田・大館フリーきっぷの旅
弘 前
ひろさき
[青森県弘前市]
2009年
9月14日~15日
大 館>
Hirosaki Ōdate

9月19日から23日までは世間一般では5連休になっており、「シルバーウィーク」等と称されているが、基本的に休日は出勤するシフトの自分にとっては5連勤である。
その代わり、休日に出勤する分の代休が前の週に割り当てられたことから、未消化の夏季休暇2日分を追加して14日から18日までを5連休とした。
せっかくの5連休なので2度目の北海道遠征や6回目の九州遠征も考えたが、先月の四国巡りの旅や青春18きっぷの旅でだいぶ金を使っており、それほど出費をしたくなかったことと、以前から「秋田・大館フリーきっぷ」を使って青森県西部・秋田県方面への旅をしたいと思っていたため、「秋田・大館フリーきっぷ」で弘前・大館・秋田をまわることにした。

そして9月14日20時30分頃、上野駅に到着。山手線外回り電車から降りて、地上の13番線に向かう。
明日の朝飯や飲み物などはすでに新宿駅で調達したので、上野駅で買い足すものはなかった。

[現在地:JR上野駅(東京都台東区)]
13番線ホームの「五つ星広場」でしばらく待つと、
20時50分に青森行き寝台特急「あけぼの」がバックで入線。
※この画像のみ動画からのキャプチャのため画質が悪くなっております。
[現在地:JR上野駅(東京都台東区)]
今回は5号車のB寝台個室「ソロ」を利用。
「秋田・大館フリーきっぷ」はフリーエリアまでの往復に寝台特急「あけぼの」のB寝台を利用できる。
"今夜の宿"となる5号車の外観を撮影すると、早速個室に入る。
21時15分、"唯一定期列車として残る上野発青森行きの夜行列車"である寝台特急「あけぼの」は北へ向けて出発した。
21時17分に寝台列車ではおなじみの「ハイケンスのセレナーデ」とともに車掌による車内放送が始まるも、いきなり「深夜帯を走るため秋田到着20分前(翌日6時25分)まで放送による案内を中断」の予告。
秋田までの到着時間と夜行列車ではおなじみの注意何点かの後、21時21分に放送は終了。
大宮高崎の停車時も放送はまったくなかった。
水上で5分間運転停車した列車が湯檜曽駅を通過して谷川岳の真下をトンネルで抜ける頃、時刻は0時を回っていた。

9月15日1時6分、寝台特急「あけぼの」がこの日最初に停車したのは長岡。ただし8分間の運転停車であった。
新津でも6分間運転停車し、3時19分、最初の客扱い駅・村上に到着。
村上を出てしばらくすると、列車は日本海のすぐそばを走るようになる。
桑川を過ぎたあたりから、進行方向左手にある窓からは名勝「笹川流れ」と思われる風景が見えるようになったが、日の出などまだ先の4時前では暗くてはっきりと見ることができなかった。
あつみ温泉鶴岡余目酒田遊佐と停車していき、象潟駅には5時40分に到着。
この頃にはもう明るくなっており、車窓から象潟を見ることができた。
仁賀保羽後本荘と停車した後、6時25分、前夜の予告通り「ハイケンスのセレナーデ」が2回鳴って「おはようございます」放送が始まり、秋田駅到着20分前であることが告げられた。
秋田には定刻通り6時45分に到着。
秋田は今回の目的地の一つであるが、秋田市内の観光は翌日行う予定なので、ここでは降りずさらに北を目指す。
秋田を出ると、以後は次の停車駅と到着時間、それと「立席特急券で乗車してきた客への案内」が行われるようになった。
男鹿線との分岐駅である追分を通過すると、進行方向左手にかつて日本で2番目に大きい湖だった八郎潟が見えるようになった。
八郎潟森岳東能代二ツ井鷹ノ巣を経て、大館には8時35分に到着。
ここも目的地の一つではあるが、現時点では下車しない。
ただ、弘前で時間を使いすぎた場合は途中下車することなく旅を終える場合もある。
青森県に入り、碇ヶ関大鰐温泉に停車。
そして・・・
上野から寝台特急「あけぼの」に乗車すること12時間余り、弘前駅に到着。
現在の時刻は9時18分。
駅コンコースには弘前城の下乗橋と天守の模型が置かれていた。
弘前駅から徒歩25分、弘前城に到着。
ここは弘前公園の南東端。
西に進むと国指定重要文化財の三の丸追手門がある。
追手門に近づいて撮影。
門のそばに傘立てとして置かれている甕は、三の丸御殿跡から出土した甕を模したもの。
三の丸から撮影した追手門。
三の丸にある弘前市立博物館。
三の丸から堀をはさんで二の丸未申櫓を撮影。
同じく三の丸から撮影。こちらは二の丸辰巳櫓。
三の丸の南東部を占める弘前城植物園。
三の丸と二の丸を隔てる堀に架かる「杉の大橋」。
杉の大橋を渡るとすぐ左に二の丸南門(南内門)がある。
上の画像の反対側から撮影。
重要文化財・二の丸未申櫓。
同じく重要文化財・二の丸辰巳櫓。
弘前駅コンコースの模型にもあった、二の丸と本丸の間に架かる下乗門。
下乗門の途中から天守を撮影。
下乗門を渡り本丸に入るとすぐに券売所があり、そこから先は有料区間(300円)。
300円払って券売所を通過。
このコーナーを右折すると・・・
その先には天守。
文化7年(西暦1810年)、9代藩主津軽寧親によって建てられた弘前城天守(国指定重要文化財)。
本丸西南部にあった天守が落雷により焼失した後、東南部にあった辰巳櫓を解体した上で天守として新造したものである。
所謂「現存12天守」の一つ。
天守より岩木山を望む。
弘前城本丸。
本丸未申櫓跡。
初代の天守はここに建てられていたが、落雷により焼失した後は隅櫓が建てられた。
本丸西側から岩木山を望む。
本丸戌亥櫓跡。
本丸北側から坂を下りる。
降り切った所で戌亥櫓跡方面を見る。
本丸と北の郭の間に架かる鷹丘橋。
北の郭にある籾蔵跡。
北の郭子の櫓跡。
明治39年に花火が原因で焼失したという。
意味ありげな通路の先には・・・
の前に、脇にそれて天守と下乗橋を撮影。
同じ場所からズームして撮影。
通路の先には「館神」があった。
「館神」は津軽信牧(2代藩主)が豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所。
手前側が鳥居の跡、奥が本殿の柱跡。
北の郭東部の券売所を抜けて二の丸に戻ると、その先にあったのは重要文化財・二の丸丑寅櫓。
二の丸東門(東内門)の見張り所として置かれた与力番所。
金木町(五所川原市に吸収合併されている)産の青森県天然記念物・玉鹿石。
二の丸東門(東内門)。
反対側。
東内門外橋。
弘前城内で唯一の石橋だったらしい。
三の丸東門。
反対側。
東門の撮影を終えて時計を見ると13時25分
大館での一番の目的を確実に達するためには、弘前駅を14時17分に発車する列車に乗らないと間に合わない。
ということで、現存する門でまだ撮影していない四の丸北門を撮りに行くため、早歩きを始めた。
亀甲門の別名を持つ四の丸北門。
元は大光寺城の門だったが、津軽信牧が弘前城追手門とするため移築した。
そのため、攻められたことのない弘前城の門で唯一矢傷跡が残っている。
反対側。
弘前城そばの弘前文化センター敷地内にある、弘前藩の藩祖・津軽為信の銅像。
何とか列車到着10分前に弘前駅に到着。
遅めの昼食となる駅弁も購入し、ホームにて列車を待つ。
画面右に小さく写っているのは弘南鉄道弘南線の列車。

14時17分発予定の秋田行き特急「かもしか4号」は少し遅れて到着。
自由席の列が意外と長かったので、座れるかどうか心配だったが、何とか席を確保した。
ぐずついた天気の中、特急「かもしか4号」で大館へ向かう。


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