円町駅別館 YenTown Station annex旅の記録2007
下関(Part 2:赤間神宮〜関門人道トンネル)
Shimonoseki(Part 2)
2007年10月19日

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赤間神宮の前、海参道の入口に奉納されている「海峡守護の錨」。
壇ノ浦の戦いで敗北を悟った平知盛が錨を背負って入水したという逸話に因む。
海参道入口には「朝鮮通信使上陸淹留之地」の碑もある。
安徳天皇を祀る赤間神宮
元はここに阿弥陀寺があり、建久2年(1191年)に建立された御影堂で安徳天皇を祀っていたが、明治維新後の廃仏毀釈で阿弥陀寺が廃され、御影堂が天皇社→赤間宮→赤間神宮となり現在に至る。
神宮の正門「水天門」は大洋漁業(現・マルハニチロ)の副社長・中部利三郎の主導で昭和33年に建立された。
赤間神宮の境内。
正面に見えるのは大安殿。
日本西門鎮守八幡宮。
貞観元年(859年)行教によって創建された。
戦時中の昭和20年7月2日に社殿が全焼したものの、戦後の2度にわたる戦災復興造営事業を経て再建された。
海難・水難者の供養のために建立された水天供養塔(十三重宝塔)。
壇ノ浦の戦いにて命を落とした平家一門14名の墓。
耳なし芳一の像が祀られた芳一堂。
安徳天皇阿弥陀寺陵。
中国地方唯一の「天皇陵」。
関門橋の間近までやってきた。 立石稲荷神社。
関門橋の対岸・北九州市門司区和布刈地区を見る。 関門橋の真下から和布刈(門司)方向を撮影。
関門橋をくぐると、奥に火の山が見えてきた。
壇の浦古戦場址(みもすそ川公園)。錨を担ぐ平知盛と波の上で八艘跳びをする源義経の像がある。
長州砲(模造)。本物は元治元年(1864年)の下関戦争でフランスに戦利品として持ち去られ、パリのアンヴァリッドに保管されている。
壇の浦古戦場址(みもすそ川公園)から関門橋越しに門司港レトロ地区を望む。 関門隧道建設の碑。1939は建設開始の年(昭和14年)、1958は完成の年(昭和33年)を表す。
山側から国道9号越しに義経と知盛の像を撮影。
関門海峡は徒歩でも渡れる・・・正確にはくぐれる。
壇の浦古戦場址(みもすそ川公園)から国道9号を挟んで山側に「関門トンネル人道入口」がある。
関門国道トンネルは自動車専用道路のため、歩行者のほか自転車・原付利用者は人道を通る(自転車・原付は20円の通行料がかかる)。
地上からエレベータで降りるとたどり着く、ここが人道トンネルの下関側の端。 ここから門司側の端までは780m、止まらずに歩けば所要約15分。
ここが唯一自分の足で跨げる、山口県と福岡県の県境。

県境を跨ぎ、福岡県北九州市門司区へ入った。

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