円町駅別館 YenTown Station annex旅の記録2007
下関(Part 1:寝台特急「富士・はやぶさ」〜本陣伊藤宅跡)
Shimonoseki(Part 1)
2007年10月18日〜19日
10月18日18時3分東京駅10番線発車の大分・熊本行き寝台特急「富士・はやぶさ」に乗車。 今回利用した9号車は「富士」のB寝台個室「ソロ」。
B寝台個室「ソロ」の内部。
9号車の通路。
日付が変わって19日、下関駅に到着。
ここで牽引する電気機関車をEF81に代える。
12両編成のうち前6両は熊本行き「はやぶさ」なので、1号車先頭には「はやぶさ」のトレインマークが表示されていた。
EF81と客車の接続が完了。 寝台特急「富士・はやぶさ」を見送る。
次の停車駅・門司で「はやぶさ」「富士」の分割が行われる。
下関駅構内。 下関駅東口。
2006年の放火で駅舎が焼失したため、仮設の駅舎が建っていた。
関門海峡を展望できる「海峡ゆめタワー」に立ち寄った。
北東方向に進む途中に見かけた「興安丸の錨」。
(高さ3m・最大幅1.7m・奥行き66cm・重さ4t)
興安丸は昭和12年から20年まで関釜航路で運航され、終戦直後は仙崎(山口県長門市)−釜山間の引揚船として運用された。
昭和45年に三原(広島県三原市)で解体され、錨は三原の内港東公園と下関の火の山山麓に保存された。
火の山山麓の錨は平成16年にこの場所に移された。
三原の錨はこちら(Googleストリートビュー)↓
関門橋を前に見ながら岸壁に沿って歩くと・・・ 左奥に「しものせき水族館 海響館」が見えた。
対岸の門司港を見る。
中央奥の高層ビルは「門司港レトロハイマート」。
最上階が展望室になっている。
関門海峡は様々な船が行き交っている。
この船は川崎近海汽船の貨物船「CHIKUSA」。
海響館の入館口は2階にある。 関門海峡と関門橋。
唐戸と門司港を結ぶ関門連絡船の1隻「わかば」が唐戸桟橋へ向かう。 カモンワーフ唐戸市場
下関にあるレトロな建物の1つ、旧秋田商會ビル。
現在は下関観光情報センターとして利用されている。
「聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地」碑。
ザビエルは天文19年(1550年)11月頃下関を訪れた。
右にはザビエルの生家であるザビエル城の石が添えられている。
唐戸市場の中。
"関の氏神"こと亀山八幡宮
大鳥居の左には「山陽道」と刻まれた碑があり、ここが山陽道の終点だったことを表している。
境内には「世界一」を称する"ふく"の像がある。
石段の上から鳥居越しに関門海峡を望む。
「世界一の」ふくの像を間近で見る。
"波乗りふく"の像は昭和9年に八幡宮の表参道東側(石段の右側の途中)に建てられたが、戦時中の昭和19年に金属供出で失われ、現在ここにある2代目は平成2年9月29日に再建された。
(※参考:亀山八幡宮公式サイト)
おかめ明神。
江戸時代初期に八幡宮のあるあたりを埋め立てる際に人柱となった遊女「お亀」の功績を讃え、銀杏を植えたことを発祥とする。
昭和57年に和裁の針供養のために建立された針塚。
昭和45年に日本舞踊の扇を供養するために建立された扇塚。
亀山八幡宮の大鳥居の右には
「床屋発祥之地」の碑が建立されている。
藤原基晴という北面の武士が皇室の宝刀探索のため下関へ下向した際に、新羅人から髪結いの技術を学んで武士を客とした髪結い所を開いたという説によるらしい。
日清戦争の講和会議の場となった割烹旅館「春帆楼」。
ここにある「ふくの碑」は、明治21年に伊藤博文によって山口県でふくの食用が解禁され、春帆楼がふく料理店の公許第1号となってから100周年を迎えたことを記念して翌年の平成元年に建立された。
日清講和記念館。講和会議の様子が再現されているほか、下関条約に関する資料の展示もされている。 日清講和記念館そばにある伊藤博文(左)と陸奥宗光(右)の胸像。
関亀山引接寺(浄土宗)。
日清戦争の講和会議の清側全権である李鴻章が宿泊した地。
三門は下関市指定文化財。
本陣伊藤宅跡と「明治天皇西国行幸行在所手洗鉢」。
坂本龍馬夫妻も滞在したことがある伊藤邸は小学校・盲唖学校に使われた後、戦時中に焼失した。

その2に続く>


円町駅別館 YenTown Station annex円町駅別館・旅の記録(Yen Town Station Annex Travel Archives)>旅の記録トップへ戻る|円町駅別館トップへ戻る