3泊5日四国巡りの旅
2009年8月6日木曜日(4日目) 宇和島→高知
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この日はいつもより1時間早い5時に起床。 宇和島港そばのマクドナルドで朝食をとった後、荷物をまとめてホテルをチェックアウト。 6時前には宇和島駅の改札口にいた。 その理由は次に。 |
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宇和島駅から出る予土線の定期列車はわずか13本。 そのうち窪川まで行ける列車は6本しかない(終電は18時25分!)。 6時11分の一番列車を逃すと次は3時間以上後となり、その分高知での観光に使える時間が減ってしまうため、早めの行動となった。 |
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予土線の一番列車である窪川行きワンマン列車。 宇和島駅を定刻で発車した。 |
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途中、江川崎で長時間の停車。 | |
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列車は長いプラットフォームの、駅舎に近い窪川方に停車している。 | |
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江川崎駅の時刻表。 この駅に来る定期列車は上下合わせてわずか15本。 下のほうには折り返し乗車に対する「※普通列車は北宇和島駅・若井駅でのりかえです」という注意書きがある。 宇和島行きの列車で宇和島まで行ってから松山方面に行こうとすると北宇和島−宇和島が、窪川行きの列車で窪川まで行ってから宿毛方面に行こうとすると若井−窪川がそれぞれ重複しているため2回分の運賃を要求されてしまう。 (北宇和島・若井に停車しない特急列車については特例により重複部分の運賃は計算されない) |
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江川崎駅の駅舎。 | |
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予土線と四万十川に挟まれて並行する道路は国道381号。 | |
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江川崎の次の駅はネタ駅名の代表格・ |
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川奥信号場から土佐くろしお鉄道中村線に乗り入れ、終点の窪川駅に到着。 跨線橋から宿毛方を望む。 |
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土佐くろしお鉄道の窪川駅駅舎&ホーム。 | |
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窪川からは岡山行き特急「南風10号」に乗り継ぐ。 | |
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午前10時、高知駅に到着。 | |
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高知駅前からは |
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高知城に到着。 | |
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高知城の追手門。 | |
関ヶ原の戦いの後に土佐一国を与えられ、高知藩の基礎を作った山内一豊の銅像。 | ![]() |
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城内には、100円札にその肖像が描かれたこともある土佐出身の政治家・板垣退助の銅像が建っていた。 | |
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排水のために石垣から突き出すようにして設置された石樋。 | |
山内一豊の妻の像。 夫の像より高い位置にあるのは意図的なものなのか。 |
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本丸と二の丸を連絡する「橋廊下」。 登城した武士の詰所として使用されていたことから、現在は「詰門」と称されている。 |
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二の丸から「橋廊下」、廊下門と天守を見る。 | |
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高知城天守。高欄の補修工事が行われていたため、最上階に覆いがついた残念な状態に。 | |
鉄門を通って本丸から退却。 | ![]() |
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高知県立武道館前に残る、かつてこの地にあった学問所「致道館」の正門。 | |
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城の北側を追手門方面に進む。 | |
追手門から高知城を出て、はりまや橋のそばで昼食を取った。 その後、バスで長浜まで移動して長宗我部氏関連の史跡巡りへ。 |
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長宗我部元親および先祖である秦家代々の霊を祭神とする秦神社。 | |
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秦神社の拝殿。 背後にある山にはかつて長浜城があり、長宗我部元親は永禄3年5月26日に夜襲をもってこの城を攻め落とした。 |
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秦神社の境内社である西宮神社。 | |
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四国八十八箇所の第三十三番札所である高福山雪蹊寺。 この日もお遍路さんらしき人が境内で休憩していた。 なお、寺号は長宗我部元親の法号「雪蹊恕三」に因む。 |
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雪蹊寺の大師堂。 | |
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戸次川の戦いで討死した長宗我部元親の嫡男・信親の墓。 | |
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文治元年に石清水八幡宮の分霊を勧請して建てられた若宮八幡宮。 | |
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長宗我部元親が九州征伐へ赴く際に若宮八幡宮で武運長久を祈願したものの、軍旗が鳥居に引っかかって落ち、その後嫡男信親が戸次川で戦死したため、帰国後に元親は鳥居を海に流した。 以来明治3年に再建されるまで、八幡宮は鳥居のない社だった。 |
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若宮八幡宮と道を挟んで向かい側にある「鎮守の森公園緑地」には平成11年に建てられた「長宗我部元親初陣之像」があった。 | |
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「初陣之像」のそばには、戸次川の戦いで長宗我部信親とともに戦死した供の衆の名が刻まれた銅板があった。 | |
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鎮守の森公園緑地からしばらく歩き、天甫寺山にある長宗我部元親の墓へ向かう。 元親の墓へ行くための階段を登る前に、慶長5年の浦戸一揆で戦死した兵士のものと伝わる塚を見ていく。 |
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長宗我部元親の墓。 | |
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桂浜の近くにある、浦戸一揆で討ち取られた一領具足を供養するために建てられた六地蔵。 | |
六地蔵の近くには「忠魂不滅」の題と土井晩翠の詩が刻まれた一領具足の供養碑が建っている。 | ![]() |
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浦戸一揆で討ち取られ、首を取られた一領具足の胴体を埋葬した石丸塚。 | ![]() |
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高知の代表的な観光スポットの一つ、桂浜。 | |
龍馬の銅像だけ見に来た人には見向きもされないであろう、「坂本龍馬彰勲碑」(左)と「忠魂護皇基の碑」(右)。 彰勲碑には土方久元の七言絶句と板垣退助の撰文が、忠魂護皇基の碑には細川潤次郎の和歌が刻まれている。 |
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桂浜に来る観光客の多くは風景そのものよりこれを見るのが目的と思われる、平成22年のNHK大河ドラマの主人公となった坂本龍馬の銅像。 | ![]() |
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桂浜から太平洋を望む。 | |
この後、タクシーでホテル前まで行き、17時前には早々と「ホテルサンルート高知」へチェックインし、旅装を解いた。 汗を洗い流した後、夕食をとるため再びはりまや橋へ向かった。 |
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この日の夕食は鯨定食。 |
夕食後、土産物屋で職場へのお土産を購入し、ホテルへ戻った。