円町駅別館 YenTown Station annex3泊5日四国巡りの旅

2019年8月5日水曜日(3日目) 松山→伊予大洲→宇和島

朝はいつも通り6時に起床。
ホテルの窓から松山駅を望む。
松山駅から宇和島行き特急「いしづち1号」に乗車。
朝食として松山駅の駅弁・松山鮨を食べた。
この日1つ目の目的地・大洲城の最寄り駅である伊予大洲駅に到着。
肱川の右岸から大洲城を撮影。
河川敷に降りて撮影。
肱川の下流方面。
奥に見える高山寺山には有名な石仏があるらしい。
肱川橋の中間点から大洲城を撮影。
国指定重要文化財の苧綿櫓(おわたやぐら)
どうしても後ろに大洲市民会館が写ってしまうのが残念。
10歳から27歳まで大洲で過ごしたことから造られた、
中江藤樹の銅像。
中江藤樹が詠んだ七言絶句「忍の字に題す」の句碑。
大洲城の復元天守。
大洲城の天守は2004年に間組によって復元された。
参考ページ
画面右の建物は愛媛県指定有形文化財の下台所(しもだいどころ)
国指定重要文化財の大洲城三の丸南隅櫓。
本丸・復元天守から少し離れたところ(松山地裁大洲支部そば)にあるため、見たい場合は本丸・復元天守だけ見て帰らないよう注意。
三の丸南隅櫓そばに建つ、国登録有形文化財の旧加藤家住宅主屋。
旧大洲藩主加藤家が1925年に建てた和洋折衷の建物。
伊予大洲駅に戻り、宇和島へ向かうため列車を待つ。
島式ホーム(2・3番のりば)には伊予大洲−伊予市間の駅名表があり、「上り普通列車は伊予長浜経由と内子経由の2方向がありますのでご注意ください」との注意書きがある。
やってきた宇和島行き特急「宇和海7号」は「アンパンマン列車」だった。
予讃線の終点・宇和島に到着。
宇和島駅前。
ロータリーには宇和島の名物・闘牛の銅像がある。
奥に写るホテルはこの日の宿であるJR四国系列のホテル「ホテルクレメント宇和島」。
宇和島城築城400年および鉄道唱歌誕生100周年を記念して可能な限り復元した、コッペル社製ケ220形式の蒸気機関車の模型。
宇和島で一番初めに走った機関車といわれている。
宇和島出身の法学者・穂積陳重に因んで名がついた穂積橋。
陳重の死後、銅像を建てる計画が持ち上がったものの、遺族が本人の「老生は銅像にて仰がるゝより萬人の渡らるゝ橋になりたし」という生前からの意思をもってこれを認めなかった。
そのかわりとして、改築中だったこの橋の名を「穂積橋」にしたいという提案をしたところ、遺族が受諾したため、この名となった。
この日の昼食は穂積橋のそばにある「ほづみ亭」で宇和島の郷土料理・鯛めしを食べた。
1952年にこの場所に移設された、宇和島藩家老桑折氏の屋敷の長屋門。
門を潜り、城内の石段を登っていく。
宇和島城井戸丸。
ここの井戸は城内の井戸のうち最も重要視され、厳重に管理されていたということが、中央やや左に見える説明板に記されている。
三の門跡。
二之丸の御算用矢倉跡。
この階段を上がると本丸。
宇和島城本丸と天守。
国指定重要文化財・宇和島城天守。
天守から宇和島湾を望む。
1972年に藤兵衛丸跡に移築された、法学者穂積陳重・八束兄弟の生家の長屋門。
宇和島関連の資料を展示している城山郷土館。
元は弘化二年(1845年)に調練場内の武器庫「山里倉庫」として建てられたが、昭和42年8月に現在地である藤兵衛丸跡に移築された。
上り立ち門を通って城を出る。
石段を下る途中、進行方向左手に一等水準点を発見。
宇和島市有形文化財に指定されている、薬医門形式の上り立ち門。
上り立ち門のそばに建つ、児島惟謙の銅像。
児島は大津事件を起こした津田三蔵の裁判で大審院院長として、司法権の独立を守ったといわれる。
伊達博物館敷地内の「偕楽園跡」。
水戸の偕楽園との関係は不明。
宇和島市立伊達博物館。
宇和島藩主伊達氏所縁の品々が展示されている。
入口前には宇和島藩8代藩主・伊達宗城の銅像が建っている。
宇和島藩第7代藩主・伊達宗紀が建造した大名庭園・天赦園。
天赦園の中。小雨が降ったり止んだりだったこともあってか、観光客は自分たち2人だけだった。

天赦園を後にした時点ではまだ16時40分頃だったが、2人とも疲れが蓄積していたため、早くも宿へ。
宇和島駅に直結している「ホテルクレメント宇和島」へチェックインし、旅装を解いた。
しばらく休んだ後、駅から少しはなれたところにある焼き肉屋で夕食をとり、ホテルに戻ると翌日に備えて早めに床についた。

4日目に続く


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