円町駅別館 YenTown Station annex旅の記録2006
急行「きたぐに」→直江津→長野

2006年10月26日


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新潟行き急行「きたぐに」は0時2分に京都を発車。
次の大津を0時10分に発車すると、「貴重品に注意」や「周りの迷惑になるから騒ぐな」などの注意事項が告げられた後、車内放送は終了。
車内の照明が減光された。
1時40分には敦賀→南今庄間のデッドセクションを通過し、車内が一瞬真っ暗になった。
3時10分、金沢に到着。
長時間停車の間、駅に留置されている車両を撮影した。

これは4番のりばに留置されていた、
七尾線電化15周年のヘッドマークをつけた415系。
このあと5時35分発の七尾行き普通列車となる。
3番のりばに留置されていた485系。
特急「雷鳥47号」としてやってきた車両だろうか。
金沢駅3・4・5番のりばの発車案内。
485系の先頭車の片方はこのようなパノラマ型運転台になっている。
3時47分、金沢駅を発車。
前回足止めされた泊駅も所定の時間に発車し、糸魚川発車後の5時31分、2度目のデッドセクション通過。
5時50分、車内放送が再開され、照明も元の明るさに戻った。
5時56分、直江津に到着。
ここで信越本線の長野行き普通列車に乗り換えた。
長野駅に到着。
長野駅からは長野電鉄長野線を利用し、3つ先の善光寺下駅で下車。
善光寺下駅そばに建つ「紀念碑」。
善光寺下駅の開設および連絡道路の開通を記念したもの。
善光寺東門そばにある寿福山無量院寛慶寺。
浄土宗鎮西派に属する、知恩院の末寺である。
寛慶寺本堂。
長野駅の駅名標の背景にもなっていた善光寺本堂。
田川茂三郎の筆塚。
「南無阿弥陀仏」の六字に因んだ、6本の柱で支えられている鐘楼。
重要美術品に指定されている梵鐘は1998年2月7日11時に冬季オリンピック長野大会の開会を告げるために鳴らされた。

そばには五輪マークがあしらわれ、「長野オリンピックは善光寺の鐘とともに始まつた」と刻まれた石がある。
江戸時代、北信濃において相撲の支配権を握っていたという年寄「二十山」の供養塔。
ここにあるのは5代目から7代目までのもの。
本堂建築の際に使用された大工道具が埋められている道具塚(護法塚)。
←諸神塚|山王塚→
「御百度詣数取」。
お百度参りの際に数をカウントするためのものだろうか。
4人分ある。
左下に刻まれていた6文字は何だったのだろう。
浄土真宗の開祖・親鸞の像。
中ほどに嵌め込まれている車(輪廻車)を回すことで諸々の苦悩を抜け出すことができるらしい「輪廻塔」。
宝暦九年(1759年)落成の経蔵(重要文化財)。
『鉄眼黄檗版一切経』が納められているらしい。
馬嶋禅長・元長親子の筆塚。
源義経の家臣で義経の身代わりとなって戦死した佐藤継信・忠信兄弟の塚。
六地蔵と濡れ仏。
善光寺の参道を駅方向へ向かう。
仁王門をくぐってから振り返って撮影。
奥に見える山門は修復工事中で、残念ながら見ることはできなかった。
仁王門そばにある名號堂。
本堂=大御堂に対して小御堂と呼ばれる。
善光寺交差点脇には長野市道路元標があった。
「中央通り」となった参道をさらに南下すると、長野オリンピックの表彰式が行われた場所が残っていた。
現在はこのように駐車場となっている。
長野駅に戻り、新幹線で帰京する。

長野駅より北に延びる線路はすでに敷かれ、豊野駅の南にある長野新幹線車両センターに回送される車両は通っているが、営業列車が長野駅より北へ行くまではあと8年余り待つことになる。
14時25分発、E2系N12編成の東京行き長野新幹線「あさま530号」に乗車。

16時12分、終点・東京に到着。
前回と違い、今回は最初の「ながら」以外大きなアクシデントのない旅だった。

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