円町駅別館 YenTown Station annex旅の記録2010
金沢→鎌倉
Kanazawa→Kamakura
[横浜市金沢区→神奈川県鎌倉市]
2010年1月9日


昨年10月に立山黒部アルペンルートから帰ってきて以来、久しく東京都内から出ることのない日々を送っていたが、昨年8月に四国への旅をともにした友人J氏から「近場でどこか行かないか」と誘われたので、初詣を兼ねて金沢(横浜市金沢区)と鎌倉の寺社巡りに行くことにした。
横浜駅で待ち合わせ、京浜急行快特で金沢文庫駅まで行き、15分ほど歩くと・・・
明和八年(1771年)に再建された称名寺の惣門。
朱塗りにされていることから「赤門」ともいわれる。
称名寺の参道。
称名寺の子院の一つ、光明院の表門(横浜市指定文化財)。
文政元年(1818年)再建の仁王門。
称名寺の境内。
仁王門を境内から撮影。
橋を渡って金堂に向かう。
天和元年(1681年)再建の金堂。
文久二年(1862年)に建立された釈迦堂。
釈迦堂の横から出る道を辿った稲荷山の中腹にある、称名寺を建立した北条実時の御廟。
中央に実時の墓とされる宝篋印塔がある。
向かって左側を撮影。
五輪塔は一門の墓といわれている。
向かって右側を撮影。
称名寺境内にある北条実時の胸像。
称名寺境内と金沢文庫とをつなぐ隧道のうち、中世からあるといわれているもの。
現在はこの隧道の左側に新しいトンネルが掘られており、それを使って金沢文庫へ行く。
金沢北条氏の北条顕時・貞顕の御廟。
向かって左側には「北條顕時公御廟」、右側には「金澤貞顕公御廟」と書かれている。
鎌倉幕府第15代執権・北条貞顕の墓とされる五輪塔。
平成2年に、かつて金沢文庫(かねさわぶんこ)があったとされる場所に移転・新築された神奈川県立金沢文庫
現在は日本中世史専門の県立博物館だが、図書閲覧室もあるため、「文庫」の名に偽りはない。
金沢文庫を見学した後、称名寺への参道を遡って金沢八景駅へ向かう。
途中には「金沢八幡神社」があった。
所在地(金沢区寺前)から「寺前八幡」とも称される。
真言宗御室派の準別格本山である知足山龍華寺。
元は光徳寺という寺があったが、明応八年(1499年)に六浦の山中にあった浄願寺と併合して龍華寺となった。
割烹旅館「東屋」の裏庭に建っていたという「憲法草創之處」碑。
昭和30年(1955年)の東屋廃業後、洲崎町交差点そばのこの場所に移設された。
北条政子が都久夫須麻神社(弁財天)を勧請して建立したといわれる琵琶島神社の参道。
新杉田−金沢八景間を結ぶ新交通システム・金沢シーサイドラインの車両がやってきた。
終点・金沢八景駅に入線。
なお、現在の駅は仮設で、将来は京浜急行の金沢八景駅の上まで延伸することになっている。
琵琶島神社の小さな社と金沢八景駅(に停車中の金沢シーサイドラインの車両)。
金沢八景駅を発車したシーサイドラインの車両が新杉田駅へ向かう。
車両の背後に見えるのは「金沢八景」の一つ、「夕照」の野島。
金沢八景駅から京急逗子線の普通車で終点・新逗子まで行き、JR横須賀線の逗子駅へ徒歩連絡。
そこから湘南新宿ライン用のE231系列車(行き先は忘れた)に一駅間乗車し、鎌倉に到着。
駅前で昼食を取った後、鎌倉の寺社巡りへ。
かつてここに幕府が置かれていたという石碑が建つ、宇都宮稲荷神社。
源頼朝と実朝を祭神とする白旗神社。
鶴岡八幡宮の拝殿へ登る石段と大銀杏。
3連休の初日ということもあり、多くの初詣客で賑わっていた。
ここで「旅行安全守護」のお守りと「勝守」を購入したが、果たしてご利益はあるだろうか。
2010.3.21追記:なお、この大銀杏は3月10日に強風を受けて倒れてしまいました)
鶴岡八幡宮の「東口」から出たところにあった、頼朝の重臣の一人・畠山重忠の邸宅跡の碑。
源頼朝の墓へと向かう途中にあった「法華堂跡」の碑と白旗神社。
法華堂跡の碑には、建保五年に和田義盛が幕府に叛いた際に3代将軍実朝がこの地に避難したこと、および宝治元年に執権北条氏に攻められた三浦泰村がここで一族郎党とともに自害したことが記されている。
平成12年に建てられた源頼朝の顕彰碑と大森金五郎(源頼朝研究の第一人者と言われた学者)の歌碑。
「白旗明神」の扁額が掛かる白旗神社。
白旗神社横の階段を上ったところにある源頼朝の墓。
大蔵にあった幕府の門の一つ、東御門のあったとされる場所に建つ石碑。
京都の北野天満宮、九州・筑前の太宰府天満宮とともに三天神と称された荏柄天神社への参道。
観光地・鎌倉の由緒ある神社にもかかわらず、参道につきものの土産物屋・飲食店は画面左に見える1つだけだった。
荏柄天神社境内にある「絵筆塚」。
10月の前半にはここで「絵筆塚祭」が行われ、筆供養などをする。
平成17年に重要文化財に指定された荏柄天神社本殿。
拝殿は参拝者がたくさんいたため撮影できませんでした。
後醍醐天皇の皇子で、建武の新政下で征夷大将軍に任ぜられたが、中先代の乱の際に殺害された護良親王を祭神とする鎌倉宮。
鎌倉宮の拝殿。
本殿は塀があるため屋根しか見えなかった。
中に植えられている梅は、すでにいくつか花が咲いていた。
階段を上がり、本殿を背面側から撮影。
護良親王が建武元年(1334年)十一月十五日から建武二年七月二十三日まで約9ヶ月間過ごしたとされる土牢。
皇太子(徳仁親王)のご成婚記念として、ご成婚の翌年(平成6年)に造営された神苑。
中先代の乱で鎌倉から退却する淵辺義博が護良親王を殺害した後、その首を置いたといわれる「御構廟」。
元弘の乱(1333年)で北条高時らが最後に立て籠もったといわれる東勝寺の跡。
左に見える穴が気になるが、門が閉じられていて中に入ることはできず、外から撮影するしかなかった。
北条高時が切腹したとされる腹切りやぐら。
横穴の前には卒塔婆が立てられていた。

当初の予定ではこの後、建長寺や東慶寺などを回るはずだったが、東勝寺跡を後にした時点で16時30分を過ぎており、すでに日が暮れかけていたためここで打ち切り。
鎌倉駅に戻って横須賀線の列車に乗り、横浜駅でJ氏と別れた。


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