円町駅別館 YenTown Station annex加賀一の宮・高岡・立山黒部アルペンルートの旅
急行「能登」北陸鉄道浅野川線・石川線・金名線

2009年10月15日


立山黒部アルペンルートには以前から機会があれば行きたいと思っていたが、
これまでなかなかその機会がなかった。
だが、北陸鉄道石川線鶴来−加賀一の宮間の廃止が報道され、
その惜別乗車を含める形で今回「加賀一の宮・高岡・立山黒部アルペンルートの旅」として、
まず上野から金沢行き急行「能登」に乗って金沢へ向かうことになった。
なお、急行「能登」も2010年3月に臨時列車へ格下げとなっている。
急行「能登」の終点・金沢から少し歩くと、
かつて京王井の頭線で3000形として使われていた車両が発車を待つ地下駅に到着。
ここは北陸鉄道浅野川線の起点・北鉄石川駅。
1日乗車券(浅野川線・石川線共通)を購入して、
石川線惜別乗車の前に浅野川線の乗り潰しを実行。
浅野川線の終点・内灘駅。
行き止まりの先には家が。
行き止まり側から金沢方面を見る。
内灘駅の駅舎。訪れたときは朝の通勤・通学ラッシュ時だったためか、
改札口は入口専用とし、降車した客は画像右端(駅舎脇)の出口から出すことで
狭い構内でたくさんの客をさばいていた。
金沢に戻ると、石川線の野町駅までは徒歩で移動した。
途中、尾山神社の前を通ったが、今回は境内に入らず素通り。
石川線の起点・野町駅。
かつてはここよりさらに金沢駅寄り(画像右方向)の白菊町が起点だった。
1番線に折り返し加賀一の宮行きの電車が到着。
2両編成のうち、1両目(鶴来寄り)の約半分と2両目は
遠足と思しき小学生の集団に占拠された。
終点・加賀一の宮駅に到着。
かつては野町駅と同じ対向式2面2線の駅だったが、
画像右側にあった線路とホームはすでにない
(はずだが、某ポータルサイト提供の地図には線路のみ描かれている)。
加賀一の宮駅に到着した電車。
折り返し野町行きとなる。
石川線に乗ってやってきた白山さんへの参詣客は
この出口を通って神社へ向かった。
加賀一の宮駅近くに架かる和佐谷橋。
和佐谷橋には1.5tという厳しい重量制限が課されている。
対岸に渡って撮影。
奥に見える山は舟岡山。
戦国時代には船岡城があったが、慶長20年の一国一城令に伴い廃城となった。
加賀一の宮駅を発車し、中鶴来駅へ向かう電車。
この光景も2009年10月31日で見納め。
加賀一の宮駅を駅裏の親水公園から撮影。
中部の駅百選に選ばれたこの駅も、11月には「鉄道駅」でなくなる。
線路はこの架線柱の根元あたりで途切れている。
加賀一の宮駅からすこし南に進んだところ。
『鉄道廃線跡を歩くV』でも紹介されていた築堤はまだ残っていた。
上の画像の反対方向。
ここから先の廃線跡は自転車専用の「手取キャニオンロード」として整備されている。
国道157号(鶴来バイパス)の一の宮大橋を潜る。
しばらく進んで振り返ると、山に縦の筋が走っている。
あの部分では麓と獅子吼高原を結ぶゴンドラが運行されている。
石川県道44号を潜る。
他のサイトに掲載されている画像によると、このあたりでは
廃線跡は「止マレ」の標示があるほうではなく右の細いほうの道らしい。
手取中島駅跡手前で振り返って撮影。
手取中島駅跡付近。
この先、手取川橋梁のかかっていたところに、
現在は金名線に因んで命名された金名橋が架かる。
金名橋は2004年10月に架けられたワーレントラス橋。
橋の中間付近で撮影した手取川(北方面)。
上の画像と反対方向(南方面)。
橋を渡りきると、自転車道は下りながら左にカーブ。
このあたりに広瀬駅があった。
県道44号をはさんで、自転車道はさらに南下する。
画面奥に広瀬バス停がある。
自転車道はその右側を通り、白山下(の少し先)まで続くが、
廃線跡たどりはここで終了。
加賀一の宮駅に戻る前に、もう一度金名橋を墓地から撮影。
対岸には、旧手取川橋梁の橋台が見えた。

加賀一の宮からはの電車で野町まで戻り、徒歩で3たび金沢駅へ。
金沢からは北陸本線の富山行き列車に乗り、高岡へ向かった。

高岡に移動する
旅の記録トップに戻る/Y.T.S.Annexトップに戻る


円町駅別館 YenTown Station annex