円町駅別館 YenTown Station annex余部橋梁日帰り?の旅

往路(東京→餘部)

※以下の文中にある各種情報は原則として2006年5月現在のものです。


2006年5月4日木曜日(国民の休日

東京駅に着くと、大垣行き夜行快速「ムーンライトながらが発車する9番線・10番線ホームへ向かった。
もちろん、「ムーンライトながら」の入線時間(23時33分)まではあと1時間くらいあることは分かっていたが、ホームに到着すると、23時00分発の大阪行き寝台急行「銀河※01)さえ入線していなかった。
しばらく経って、9番線に神田側から寝台急行「銀河」が入線。今では定期で唯一の寝台急行(※02)であることを知ってか知らずか、これから「銀河」に乗る人たちのほかに「ムーンライトながら」の入線を待っている人たちも、車両自体を写したり、車両をバックに記念撮影をしたりしていた。
そして23時00分、寝台急行「銀河」は東京駅を発車し、大阪へ向かっていった。
それから30分あまりの後、同じく神田側から9両編成の快速「ムーンライトながらが10番線に入線(※03)。
この日9番線・10番線ホームに到着する最後の列車の入線に、ホームで待っていた人たちが次々と乗車。
23時43分、下り「ムーンライトながら」は東京駅を後にした。
途中、品川で山手線の接続待ちのため長く停車したが大きな遅れにはならず、約2分遅れで日付変更後最初の停車駅・横浜に到着した(※04)。

2006年5月5日金曜日(こどもの日

横浜を発車した下り「ムーンライトながら」は、2時15分頃に清水−草薙間で上りの「ムーンライトながら」とすれ違った。
窓越しに見た感じでは、上り「ムーンライトながら」は連休を行楽地で過ごした人たちでほぼ満員のようだった。
浜松と豊橋では30分あまり停車し、その間に数人の乗客がホームに降りて自動販売機で飲み物を購入していた。
豊橋からは三河塩津(※05)と尾頭橋(※06)を除く各駅に停車。6時05分に、人気もまばらな名古屋駅に到着した。
名古屋からは東海道新幹線「こだま593号」新大阪行きに乗り換え。
新幹線下り(15番線・16番線)ホームの売店で昼飯用に「飛騨牛めし」を購入すると、16番線に入線した300系列車に乗車した。
新幹線を利用するのは高校時代に広島に行って以来(九州への旅で乗った博多南線は在来線扱いなので除く)で、約10年ぶりである。
6時26分に300系「こだま593号」は名古屋駅を発車した。途中、岐阜羽島・米原・京都に停車し、7時27分に終着駅・新大阪に到着。
新大阪からはさらに城崎温泉行きの特急「北近畿1号」※07)に乗車する。
JR東海管轄の新幹線コンコースから乗り換え口を通ってJR西日本管轄の在来線コンコースに移動し、特急「北近畿1号」が発車する17番・18番乗り場のホームに降りた。
九州への旅では、同じホームで臨時夜行快速「ムーンライト九州」を待っていたが、北陸での大雪の影響で先に到着しているはずの特急が来なかったため「ムーンライト九州」の入線も遅れ、だいぶ待たされた。
今回はそのようなことはなく、「北近畿1号」はすでに18番乗り場に到着していた。
「北近畿ビッグXネットワーク」※08のステッカーが張られた1号車に乗車し、しばし待つと「北近畿1号」は新大阪駅を発車した。
大阪・尼崎と停車し、尼崎を出ると大きく右にカーブを切って東海道線と別れ、ここからは福知山線を走る。
しばらくまっすぐ走った後、中央市場を過ぎたあたりで減速し、今度は左にカーブした。右手には人気のない高層マンションが見える。
2005年4月25日の9時20分頃、7両編成の207系電車(※09)が脱線して突っ込んだマンションである。
横を通りすぎる際に、事故で命を落とした方々の冥福を祈り瞑目した。
「北近畿1号」は尼崎の次は宝塚に停車。宝塚までは住宅地の中を走っていたが、宝塚を出ると車窓から見える風景が次第に田んぼ・畑・山・川で構成されるようになり、篠山口より先、山陰本線との合流点である福知山までの単線区間はまさに「田舎を走るローカル線」の風情だった(※10)。
「北近畿ビッグXネットワーク」の中心・福知山は旧丹波国にあたる地域の中心でもあり、駅周辺も県庁所在地の中心駅に近い感じでビルが立ち並んでいた。
駅そのものについては、JRの福知山駅は2005年に高架化されており、接続する北近畿タンゴ鉄道(KTR)(※11)宮福線の福知山駅のみが、JRの地平駅跡の解体工事が進む中で地平に取り残されているといった状態だった。
9時48分、その福知山駅の、進行方向に向かって一番右にある1番乗り場に「北近畿1号」は入線した。
2分の停車時間を経て、「北近畿1号」は福知山駅を後にすると、これより先は山陰本線を北に向かう。地平に降りると、荒河かしの木台駅までは宮福線と並行(※12)。
並行区間が終わると、再び「田舎のローカル線」に戻って豊岡・城崎温泉へ向かう。
播但線との接続駅・和田山からは円山川(※13)に並行するようにして北上し、10時42分に豊岡駅2番乗り場に到着した。ここで「北近畿1号」を降りる。
豊岡からは快速「あまるべロマン号」※14)に乗車。11時4分に豊岡を発車した列車は円山川に沿って北上。
玄武洞駅を通過し、川幅がだいぶ広くなったところで城崎温泉駅に到着。これより先は非電化区間なので、特急「きのさき」※15)などの電車列車はこの駅で折り返しとなる。
2番線には豊岡まで乗ってきた「北近畿1号」の折り返しとなる「北近畿12号」が停車していた。
城崎温泉を出ると西に向かい、竹野駅までは山の中を進む。竹野を発車したところで、少し早めの昼飯として名古屋駅で購入した「飛騨牛めし」を食べる。
右手には遠く日本海が見えるようになり、牛めしを食べ終わったところで香住駅に到着。
香住を出て、青春18きっぷのポスターの撮影やNHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」のロケが行われた鎧駅を通過してしばらくすると減速し、トンネルを抜けると右手に余部浜が見えた。
ほどなくして列車は、鉄道ファンなど多くの人々の出迎え?を受ける形で単式ホーム1本のみの餘部駅に到着した。

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※01:東京−大阪間で運行されていた寝台急行列車。2008年3月に廃止された。
※02:2006年5月当時、寝台車のみで編成されていたのは「銀河」のみ。普通車も連結されていた「夜行急行」は青森−札幌間の「はまなす」、上野−金沢間の「能登」(普通車のみ)があった。これらの列車はいずれも廃止されている。
※03:当時は9両編成のうち、小田原までは全車両が指定席、小田原からは4号車〜9号車が自由席、名古屋で後ろの3両(7号車〜9号車)が切り離され、大垣へ向かう残りの6両は名古屋からすべて自由席となっていた。
2007年3月のダイヤ改定から下り列車は豊橋まで全車指定、豊橋からすべて自由席と変わった(名古屋での3両切り離しは変わらず)。
名古屋で切り離される後ろの3両の側面方向幕には「快速ムーンライトながら 名古屋」と表示されていた。
定期運転廃止後は10両固定編成のため切り離しはなく、全車両全区間指定席である。
※04:当時は「青春18きっぷ」を使って「ムーンライトながら」に乗る場合、定期列車・臨時の「ムーンライトながら91号」ともに日付が変わって最初の停車駅が横浜であったため、その日最初に利用するJRの駅から横浜までの運賃が2300円未満なら、「青春18きっぷ」を使わずに横浜までの乗車券を別に買って乗車すれば「青春18きっぷ」1回分(2300円分)を温存できた。
※05:愛知県蒲郡市にある、蒲郡競艇場の最寄り駅。名鉄蒲郡線の蒲郡競艇場前駅と隣り合っている。ホームが短いため、9両編成の「ムーンライトながら」は停車できなかった。
※06:名古屋市中川区にある、ナゴヤ球場の最寄り駅。三河塩津駅と同じく、ホームが短いため9両編成の「ムーンライトながら」は停車できなかった。
※07:「北近畿」は新大阪−福知山・豊岡・城崎温泉間(福知山線経由)で運行されていた特急。後に「こうのとり」に変更された
※08:「京都」および「大阪・新大阪」方面と「宮津・天橋立」および「豊岡・城崎温泉」方面を福知山駅経由で結ぶ特急列車で構成する近畿地方北部の鉄道ネットワーク。
※09:宝塚発同志社前行き快速電車(5418M)。その後のダイヤ改定で、宝塚始発の片町線直通快速の列車番号は5420Mから付されることになり(改定前5418Mだった列車の番号は5438Mに変更)、事故車と同じ5418Mは使われなくなった。
※10:篠山口までは「アーバンネットワーク」と呼ばれる大阪近郊区間の範囲内で京都・奈良・大阪方面から多くの列車が直通してくる。
篠山口より先の「アーバンネットワーク」範囲外に直通する列車は朝及び夕方以降でほぼ1時間に2往復(特急含む)、日中は特急のみほぼ1時間に1往復である。
※11:鉄道建設公団によって建設された宮福線と特定地方交通線を引き継いだ宮津線を運営する第3セクターの鉄道会社。後に上下分離方式をとりKTRは施設を保有、実際の運行はWILLER傘下のWILLER TRAINSが「京都丹後鉄道」(丹鉄)として引き継いだ。
※12:並行区間にある厚中問屋(あつなかとんや→丹鉄への移行と同時に駅名を「福知山市民病院口」に変更)・荒河かしの木台(あらがかしのきだい)の両駅は宮福線のみホームがあり、山陰本線の列車は止まらない。
※13:2004年に台風23号による大雨で堤防が決壊し、流域にある豊岡市などで水害となった。この水害との関係は不明だが、豊岡−玄武洞間の円山川の堤防に土嚢が積まれているのを見かけた
※14:急行用のキハ65形気動車を使用した臨時快速列車。5月の「ゴールデンウィーク」に含まれる土曜・休日(2005年の場合5月3日〜7日)と夏休み(お盆を除く)に豊岡・香住−浜坂間で運転されていた。
※15:京都−城崎温泉間(園部経由)で運行されている特急。

東京駅
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新大阪駅
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豊岡駅(往路) 山陰本線(往路)
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