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旅の記録2013 | 2013年8月24日(1日目) |
貝塚 (その2:水間観音駅→願泉寺) ↓ 岸和田 (その1:蛸地蔵駅→だんじり会館) |
1日目 | 2日目 | |
貝 塚1 | 岸和田2 | 堺2 |
貝 塚2 岸和田1 |
岸和田3 堺1 |
堺3 弁天町 |
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水間観音駅にはクハ553が静態保存されていた。 | まっすぐ伸びるレールの先には隣の三ヶ山口駅が見える。 |
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水間線を全線乗り通し、終点・貝塚駅に到着。 | 貝塚駅の水間鉄道改札口。 |
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貝塚駅西口には 「従是東西海塚領」と刻まれた石柱がある。 願泉寺領と岸和田藩領の境を示す領界石だろうか。 なお、貝塚駅周辺の住所は貝塚市海塚(うみづか)。 |
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感田神社。貝塚寺内町の産土神とされている。 | |
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境内には7つの摂社がある。 ここは七之社こと海幸戎神社。 |
感田神社拝殿。 |
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感田神社山門。 | |
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二位山尊光寺(浄土真宗本願寺派)。 現在地に移転したのは天正16年(1588年)、 現存する本堂は享保8年(1723年)に建立された。 |
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金涼山願泉寺。 天正11年(1583年)から2年間、本願寺11世顕如が ここを本拠(本願寺御堂)としたことから 貝塚御坊とも称される。 |
山門をくぐると目隠塀がある。 |
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願泉寺境内。鐘楼に吊り下げられている銅鐘は鎌倉時代のものといわれており、大阪府指定文化財。 | |
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願泉寺本堂。 |
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貝塚駅に戻り、 南海電車のなんば行き普通車に乗車。 1駅先の蛸地蔵駅で下車。 |
蛸地蔵駅西口駅舎。大正14年に建てられた。 天窓には「蛸地蔵縁起絵巻」のステンドグラスが はめ込まれている。 |
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三の丸神社。 この神社で毎年9月27日に行われていた稲荷祭が 岸和田だんじり祭の起源という説があるため、 鳥居の傍らには「岸和田だんじり祭発祥の宮」 と刻まれた標柱がある。 |
手水舎にある盥漱盤。 裏側には「元禄十六年秋九月」と刻まれていた。 現地にある神社についての説明板に 「元禄16年(1703)、京都の伏見神社から 稲荷神を勧請し」とあることから、 稲荷神の勧請とほぼ同時にこの盥漱盤も設置され、 300年以上ここで使われ続けているのだろうか。 |
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正一位白蛇大明神。 御神体は傍らの巨木だろうか。 |
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梅渓寺(曹洞宗)。 慶長5年(1600年)に小出秀政によって 清頓を開山として建立された。 寛永17年(1640年)に岡部宣勝が 高槻から岸和田に移封されてきた際に 生母(徳川家康の姪)の位牌を転置して 墓碑を建立するとともに寺名を戒名に因んだ 梅渓寺とした。 なお、位牌は昭和62年(1987年)に 火災で焼失した。 |
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南海電車の駅名の由来にもなった 「蛸地蔵」こと天性寺。 山号は護持山、院号は朝光院。 天正12年(1584年)に雑賀・根来衆が 中村一氏の拠る岸和田城に攻め寄せた際、 無数の蛸とともに、地蔵菩薩の化身とされる 大法師が現れて城を救ったという。 数日後に岸和田城の堀から見つかった 木造の地蔵菩薩像は一旦城内に安置されたが 文禄年間に天性寺へ移された。 |
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地蔵堂と地蔵の縁起を記した石碑。 |
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天性寺の参道。 「たこちそう」と刻まれた道標がある。 |
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「岸和田だんじり会館」の入口。 建物は4階建て。 |
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岸和田だんじり会館の外観。 |