![]() |
倉 敷 |
旅の記録2013 | |
2013年10月26日土曜日 |
![]() |
新横浜から博多行き新幹線「のぞみ17号」に乗車し、 岡山で下車。岡山で三原行き普通列車に乗り換え、 倉敷駅に到着した。 駅ビルの上に名前だけ残っている(すでに廃業している) 「ホテル倉敷」には過去2度宿泊したが、 1度は丸亀・琴平への旅の際に、 もう1度は出雲への旅の際に利用したため、 倉敷に泊まっておきながら倉敷の観光は 今までしてこなかった。 5月の旅で余裕があれば倉敷に寄る予定を立てていたが、 それも結局は実現しなかったため、 今回が初めての倉敷観光である。 |
![]() |
![]() |
倉敷中央通りを南下し、阿知南交差点から 美観地区に入る。倉敷本通りには平日にもかかわらず 多くの観光客の姿が見られた。 |
奥に見えるのは鶴形山トンネル。トンネルが貫く 鶴形山はかつて瀬戸内海に浮かぶ島だったため、 今でも海岸性植物が多く生育しているらしい。 |
![]() |
大原邸(右側)とその別邸である 有隣荘(左側)に挟まれた小さな道を抜けると・・・ |
![]() |
![]() |
倉敷川畔に出た。今橋から北方向を撮影。 | 南方向を撮影。観光ガイド等でよく見かける風景。 |
![]() |
![]() |
大原美術館。倉敷紡績(クラボウ)の経営者・ 大原孫三郎によって昭和5年につくられた。 |
美観地区にある証券会社。 右に見える黒板には当面の相場見通しが記されている。 |
![]() |
![]() |
倉敷川はかつて運河として舟運に用いられた。今では観光用の川舟流しが行われている。 | |
![]() |
![]() |
川向かいに見える倉敷館は倉敷町役場として大正6年に 竣工、昭和3年の市制施行後も昭和7年まで市役所として 使われた。現在は観光案内所となっている。 |
常夜燈と中橋。常夜燈はもともと寛永3年(1791年)に 前神橋(美観地区南端)の船着き場に川灯台として 設置されていた。 |
![]() |
「倉紡製品原綿積み降ろし場跡」。 クラボウの工場(現在の倉敷アイビースクエア)への 原料・製品の積み下ろしがここで行われていた。 |
![]() |
![]() |
美観地区の南端、倉敷川に架かる高砂橋の中間から 美観地区を見る。 |
高砂橋は当初は今橋として造られ、大正15年に今橋の 架け替えに伴い高砂町に移されて高砂橋に改称、 昭和42年に現在の前神橋そばに再移設された。 |
![]() |
倉敷川をさらに下ると、倉敷市芸文館がある。 いわゆる市民会館・公民館と同様、コンサートや ミュージカル、各種イベントが催される。 |
![]() |
![]() |
芸文館の一角にある「大山名人記念館」。倉敷市出身で将棋界に一時代を築いた大山康晴十五世名人を記念して 設置された。大山名人の遺品や優勝カップ等が展示されている。入口の扉には詰将棋の問題が貼ってあり、 中では小中学生向けの将棋教室が行われていた。。 |
|
![]() |
美観地区に戻り、倉敷川右岸を進むと 閑静な雰囲気の美観地区に似つかわしくない 熱い男の名前が目に入ったので思わず覗いてみる。 そこは、中日ドラゴンズで投手として活躍し、 監督としては中日、阪神タイガース、 東北楽天ゴールデンイーグルスの指揮をとった 星野仙一(倉敷市出身)の記念館だった。 訪問日に読売巨人軍との日本シリーズが開幕、 8日後の11月3日に楽天が日本シリーズを制覇し、 星野は仙台の宮城球場で9度胴上げされた。 |
![]() |
倉敷民藝館。 美観地区の古民家再生第1号として 近世末期の米蔵を改装した。 展示物は焼き物やガラス細工、籠など。 |
![]() |
そろそろ次の目的地へ向かうため、撤収するが 撮り忘れていた建物を撮影する。それは・・・ |
![]() |
国の登録有形文化財である 中国銀行倉敷支店倉敷本町出張所。 もともとは倉敷紡績の大原孝四郎によって設立された 倉敷銀行の本店があった。 倉敷銀行はその後6行合併で第一合同銀行に、 旧倉敷銀行本店は第一合同銀行倉敷支店となった。 大正11年に薬師寺主計の設計で現在の ルネサンス風店舗に建て替えられた。 大正5年に山陽銀行との合併で中國銀行(平成2年に 中国銀行に改称)となり現在に至る。 |
![]() |
大原邸北側の道を通り、倉敷中央通りを北上して JR倉敷駅に戻った。 倉敷駅に戻ると、14時27分発の三原行き 普通電車に乗って倉敷を後にした。 |
Yen Town Station Annex -The Archives of Travel without "Seishun 18 Ticket"- |
NEXT:竹 原1> |
旅の記録トップ |
円町駅別館トップ |