旅の記録2011
岩国(その1)
2011年4月29日
3月中旬の田原・鞆の浦・神辺、4月上旬の柏原・篠山・神戸(いずれも「新円町駅 青春18きっぷの旅」にて記録を公開/公開予定)についで
2011年春3回目の旅の目的地は山口県。
これまで山口県は2007年に下関を訪れた以外は通過するばかりだったので、
「四国巡りの旅」や山中城・箱根への日帰り旅を共にした友人と行程を調整し、7か月ぶりの二人旅となった。
2011年4月29日金曜日(昭和の日)
家を朝5時頃に出発し、新横浜駅で友人と合流。
新大阪行き東海道新幹線「のぞみ303号」→鹿児島中央行き山陽・九州新幹線「さくら547号」と乗り継いで広島駅で下車。
ゴールデンウィークの初日だからか、「さくら547号」の自由席の乗車率はかなり高く、新大阪から広島まで約1時間半立ちっぱなしだった。
広島駅で山陽本線の岩国行き普通列車に乗り継いだ。そして・・・
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普通列車が終着・岩国駅の6番のりばに到着。 | |
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駅構内にあった錦帯橋の模型。 左は改札内(1番のりば)、右は改札外にあった。 |
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JR岩国駅の駅舎。 駅所在地は昭和15年(1940年)に合併して岩国市になるまでは 麻里布町だったため、一時期「麻里布駅」を名乗ったこともある。 |
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駅前にも錦帯橋の模型が。 岩国市内にはいったいいくつ錦帯橋の模型があるのだろうか。 |
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岩国駅から錦帯橋までは結構距離があるため、バスで向かうことにした。 この日は「錦帯橋まつり」が行われるため、バスも臨時増発されていた。 しかし錦帯橋が奥に見えるようになったあたりで、行く手に歩行者が沢山いてバスはストップ。 歩いた方が早いということで、バスを降りて近くの食堂で昼食をとった後、歩いて錦帯橋へ。 |
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錦帯橋に到着。 橋の上は観光客でいっぱい。 橋の下では「奴道中」の準備が行われていた。 |
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錦川の河川敷から撮影。 | ![]() |
橋の上をズームで撮影。 後ろの山(横山)に見える建造物のうち、 左側はロープウェイの山頂駅、右側は岩国城模擬天守。 |
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できるだけ川に近づいて撮影。 | ![]() |
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右岸にもたくさんの人がいる。 | |
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河川敷では鉄砲隊の演武が行われようとしていた。 | ![]() |
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鉄砲隊が整列。 | |
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錦帯橋を「奴道中」、大名行列などが通るため、 観光客は一旦排除された。 日中に人がいない状態の錦帯橋を撮影できる 貴重な機会だった。 |
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錦帯橋を通る「着物行列」。 | ![]() |
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行列は断続的にやってくるため、 タイミングによっては誰もいない状態の錦帯橋と 岩国城模擬天守が撮影できた。 |
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錦帯橋を通る「奴道中」。 | ![]() |
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「奴道中」が通った後、錦帯橋を真下から撮影。 | ![]() |
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橋のたもとに戻り、行列が途切れるのを待って撮影。 | ![]() |
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上流側から撮影。 | ![]() |
錦帯橋より上流に架かっている錦城橋(山口県道114号)。 | ||
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錦帯橋と錦城橋の中間付近から横山(岩国城跡)を撮影。 | |
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錦城橋の中間から錦川と錦帯橋を撮影。 | ![]() |
ズームで岩国城模擬天守を撮影。 | ||
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岩国出身で、錦帯橋畔で剣法「巌流」を会得したといわれている 剣豪・佐々木小次郎の銅像。 後ろに見える花菖蒲園は岩国城お土居の堀跡。 |
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吉川史料館(観覧料:大人500円)。 岩国領主吉川家ゆかりの品が展示されている。 |
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門をくぐると、木菟の手水鉢があった。 これはレプリカで、本物は吉川広家の墓のそばにあるらしい。 左に見える「木菟亭」はこれに因んだ茶室だろうか。 |
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この門と資料館敷地内にある長屋は 岩国領主の隠居所として作られた「昌明館」の一部で、 岩国市指定文化財となっている。 |
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南矢倉跡。 明治18年(1885年)に絵馬堂「錦雲閣」が建てられた。 |
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岩国市立岩国徴古館。(入館無料) こちらにも吉川氏ゆかりの史料・美術品が展示されている。 一部のページでは祝日休館と記載されているが、 実際には開館日である。 |
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旧吉川邸厩門。 | ||
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岩国領主吉川氏歴代を祀る吉香神社(きっこうじんじゃ)。 平成16年に国の重要文化財に指定された。 |
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「錦雲閣」を正面(東側)から撮影。 | |
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山上の岩国城跡への主要なアプローチ手段である ロープウェイをズームで撮影。 |
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吉香神社西側の鳥居。 | ||
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「錦雲閣」を堀越しに西側から撮影。 | |
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ロープウェイに乗って「山頂駅」に到着。 | ![]() |
南回りの道を通って天守を目指す。 | ||
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「歴史との出会い道」を進む。 | ![]() |
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出丸跡の石垣が見えてきた。 | ![]() |
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階段を上って出丸跡へ。 | ![]() |
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ここは丁字路になっており、 左の階段を上れば大手門跡を通って 模擬天守を仰ぎ見る二の丸に行けるのだが、 ここはあえて北の丸回りの右の道を進む。 |
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二の丸の石垣に沿って進む。 | ![]() |
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空堀に架かる石橋。 | ![]() |
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道から外れて「万徳院の谷」方面に行くと、 櫓跡らしき石垣が。 |
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櫓跡らしき石垣は崩れかけていた。 | ![]() |
斜面ギリギリから石垣を撮影した後、 道に戻る。 |
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空堀を北東側から見る。 | ![]() |
北の丸は公園として整備されていた。 | ||
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天守への道。 | ![]() |
途中、傍らに四角の窪みのある石を見つけた。 | ||
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北側から見た空堀。 説明板によると、幅は約19.6m、深さは約10mで、 日本最大の箱堀らしい。 |
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岩国城天守台。 | ||
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本丸と空堀の間には石垣と土塁が築かれている。 | ![]() |
この天守台は平成8年3月に復元されている。 | ||
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本来の天守より南に建てられた模擬天守。 | ![]() |
南側から見た本来の天守台。 現地の案内図では天守台への通路が描かれていたが、 そのような道は見当たらなかった。 |
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いよいよ模擬天守へ攻め込む。 |