旅の記録2011 |
福 岡 |
2011年9月23日 |
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2011年9月の3連休(秋分の日・土曜・日曜)に 九州へ遠征した。 今回の旅における第一の目的地は佐賀なのだが、 福岡もまだ訪れていない場所が多いので、 この機会に限られた時間ながら いくつか見に行く予定を立てた。 新幹線「のぞみ23号」で終点の博多まで行き、 福岡市地下鉄空港線に乗り換えて、 西新駅で下車。 この時点で時刻は15時すぎ。 |
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西新駅から明治通りを西に進み、 その名も「防塁」という交差点を右折(北上)すると 西南学院大学西キャンパスの南側に 「元寇神社」と称する小さな社がある。そして・・・ |
昭和6年に国の史跡に指定された「元寇防塁」がある。 防塁は文永の役後、元の再襲来に備えて 今津(福岡市西区)から香椎(福岡市東区)まで 約20kmにわたって築かれた。 なお、西南学院大学中央キャンパスにも元寇防塁が 保存されており、平日には一般に公開されている。 |
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元寇防塁からさらに北上し、福岡市博物館へ。 志賀島で発見されたといわれる国宝「漢委奴国王印」や 黒田武士の逸話で知られる槍「日本号」などが 展示されている。 |
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福岡市博物館の見学を終えると、西新駅に戻り 福岡市地下鉄空港線→箱崎線と乗り継いで 千代県庁口駅で下車。 |
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駅から千代東公園脇を通って福岡県道21号に出ると 短い参道の先に福岡藩主黒田家の菩提寺である 横岳山崇福寺(臨済宗大徳寺派)に到着。 崇福寺はもともと太宰府にあったが、天正14年(1586年) 大友氏と島津氏による岩屋城の戦いの際に焼失、 慶長5年(1600年)に黒田長政によって この場所に再建されて黒田氏の菩提寺となった。 なお、太宰府の崇福寺跡(太宰府市白川)には 同じ臨済宗大徳寺派の瑞雲寺があり、その境内の一部は 崇福寺別院とされている。 後嵯峨天皇から下賜された「西都法窟」の勅額を掲げる 山門(福岡県有形文化財)は、福岡城本丸表御門だった ものを陸軍からの払い下げによりこの場所へ移築した。 |
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福岡県有形文化財「崇福寺唐門」。 名島城から移築されたものといわれている。 |
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黒田家墓所への通用門「藤水門」。 平成11年3月20日に落慶し、長政から数えて15代目の 当主だった鳥類学者・黒田長久によって命名された。 |
藤水門の隙間から墓所内を撮影。 墓所は寺務所で藤水門の鍵を借りれば見学できるが、 見学可能な時間は17時まで。 その時間はとっくに過ぎていたので、中には入れず。 |
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内側から山門を撮影すると、 再訪を期して崇福寺を後にした。 |
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千代県庁口駅に戻り、地下鉄箱崎線で 中洲川端駅まで移動。 西大橋から那珂川(上流方向)と中洲の夜景を撮影。 夕食は中洲の「一蘭」でとんこつラーメン。 夕食後は博多駅前のホテルにチェックインした。 |
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