円町駅別館 YenTown Station annex北陸フリーきっぷの旅
寝台特急「北陸」→富山→神岡
(神岡鉄道惜別乗車)

2006年11月24日〜25日


2006年11月30日をもって神岡鉄道(旧国鉄神岡線:猪谷−奥飛騨温泉口)が廃止されるということで、北陸方面の「乗りつぶし」を兼ねて惜別乗車しに行くことにした。
なお、今回の旅では「北陸フリーきっぷ」を使用した。
これは名称の通り北陸の指定されたフリーエリア内(北陸本線富山−加賀温泉、高山本線富山−猪谷、城端線全線、氷見線全線、七尾線全線)が4日間乗り放題(急行・特急の普通車自由席にも乗車可)なのだが、フリーエリアまでの往復に上越新幹線特急(越後湯沢→ほくほく線経由、長岡→信越本線経由のどちらでも可)または寝台特急「北陸」が利用できて21400円(東京都区内発)。金沢まで往復するだけでも元が取れ、寝台特急に乗れることで時間も有効に使える、非常に使い勝手のよいきっぷだった。
上野駅13番線。
23時3分発の寝台特急「北陸」はすでに入線していた。
寝台特急「北陸」のテールマーク。
この日の宿となった「北陸」6号車のB寝台個室「ソロ」の2階。
上野駅を定刻で発車した寝台特急「北陸」は最初の停車駅・大宮を過ぎると早々に車内放送を中断。
秩父鉄道上熊谷駅の横を通過中に日付は25日になった。
長岡での運転停車中(午前3時頃)に撮影した6号車の通路。
富山駅で寝台特急「北陸」から下車。次に乗る列車までは時間があったので、降りたホーム(2番のりば)で寝台特急「北陸」夜行急行「能登」を見送った。
富山からは高山本線の6時3分発猪谷行き一番列車(840D)に乗車。
6時58分、猪谷駅に到着。
3番のりばには神岡鉄道の奥飛騨温泉口行き一番列車(201D)が停まっている。
この日(11月25日)は廃止前最後の土曜日ということもあってか、2両編成になっていた。
地元のテレビ局関係者と思しき人たちも駆けつけ、発車前の列車の撮影や車内での乗客へのインタビューなどをしていた。
終点・奥飛騨温泉口に到着。
奥飛騨温泉口駅構内。
奥飛騨温泉口駅前には青く塗装されたディーゼル機関車が静態保存されていた。
神岡鉄道廃止後はこの機関車も撤去されてしまったらしい。
駅そばにある「つるべ橋」から見た高原川(下流方面)。
江馬氏館跡では江馬氏下館(しもやかた)の復元工事が行われていた。
※後に史跡江馬氏館跡公園としてオープンしている。
国道471号沿いにある道の駅・宙(スカイ)ドーム神岡。
左側のオブジェには東京大学宇宙線研究所長・戸塚洋二の「極大は極微を住まわせるが極微は極大を支配する」という言葉の刻まれたプレートが、右のスペースシャトルが乗っかったオブジェには宇宙飛行士・毛利衛の「宇宙は夢と創造の空間」という言葉の刻まれたプレートが、それぞれ埋め込まれている。
神岡城(江馬館跡)。
戦国時代にこの地を支配していた江馬氏が本拠である高原諏訪城の出丸として用いた、または武田信玄の越中攻略の拠点として武田家臣の山県昌景が江馬氏に建てさせたといわれている。
昭和45年(1970年)に三井金属鉱業神岡鉱業所創業100周年記念として建てられた神岡城模擬天守。
高原川沿いの道を下流方面に進むと神岡鉱山前駅が見えた。
ちょうどこの駅止まりの列車(222D)が到着するところだった。
奥飛騨温泉口駅に戻る途中、高原川に架かる橋から上流方面を撮影。
神岡大橋。
神岡大橋から見た高原川。
神岡大橋(右)と神岡線。神岡大橋駅はその名の通り、大橋の近く(画面左の道路を潜ったすぐ先)にあった。
この後奥飛騨温泉口駅に戻り、サボ[猪谷←→奥ひだ温泉口]のレプリカなどグッズを購入した後、10時45分発の猪谷行き206D列車で奥飛騨温泉口駅を後にした。
そして、猪谷で11時17分発の高山本線富山行き861D列車に乗り換え、神岡鉄道に別れを告げた。
なお、当時高山本線のうちJR東海が管轄している区間の一部(猪谷−角川)が水害により不通となっていた。
同区間が復旧したのは翌年の9月。それを待つことなく、神岡線は5日後に最終運行を迎えた。
富山駅に到着すると、北陸本線の富山始発金沢行き普通列車(430M)に乗り換え高岡に向かった。

※なお、この旅で乗車した寝台特急「北陸」も2010年3月のダイヤ改正にて廃止されている。

高岡へ行く
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